NO DRINK,NO LIFE

ふらふら日記

反省すれどもシンポなし

店の話は出てきません テイシュの日常をダラダラ書いています

2019年3月

19.3.2 沈丁花の香りに少し心が動いた

 晴れて14℃。
 
 朝から経理の仕事をダラダラとやって過ごす。何年経ってもこの手の仕事が嫌いで、かといってやらなければ税理士さんに怒られるだけなのだが、自分にとっては苦痛以外の何物でもない。
 
 夜、ビールが切れていたので近所のスーパーに出かける。日中は暖かかったが、マフラーと手袋をしてきて良かった。その道すがら、どこからか沈丁花の香りがしてきた。不思議なもので沈丁花は日中は感じることが稀で、たいてい夜、それも街灯が少ない夜道を歩いていると、ふわっと鼻先を漂うのだ。夜はいまだに冷え込むが、日中はこれから日一日と暖かくなる。それだけで心が浮き立ってくる。春は、春というだけでありがたい。
 
 帰りしな、新しい蕎麦屋を8軒。洋物の飲食店が多い参宮橋には久しくなかった和の店で、うれしいサプライズ。今度来なくちゃ。

19.3.4 同級生の娘と会ってみた

 小雨で8℃。冬に戻ってきたようだ。
 
 本を作りたいという友人のお嬢さんを、編集プロダクションのプロデューサー女史に引き合わすため、夜7時、待ち合わせのため代々木上原へ向かう。会ったことはないが、友人とどこか面影がある女性に声を掛けると、やはりそうだった。プロデューサー女史は忙しい最中のようで、8時の約束だったが9時になるとのこと。その間、2時間お嬢さんと仕事の話や友人の話をしていたのだが、パワーに圧倒された。
 
 お嬢さんは幼稚園の元先生で、理由あって離職したが、子供は好きだからいつかは自分で幼稚園を建てて経営したい。それには億の単位のお金が必要なので、今はコンサルタントとしてセミナーを開き、全国を飛び回っているという。最初はどうやってスタートしたのか尋ねると、SNSだけで発信して参加者を募り、自分で会場を借りてセミナーを開いたというのだからすごい。本を出したいというのも、会場に足を運べない人にもアドバイスが出来るからということだった。素晴らしい心掛けである。
 
 虎の子に移動し、プロデューサー女史の到着を待つ。さらに20分遅れで到着。今月納品の案件をいくつも抱えている最中駆けつけてくれ、感謝感激である。さて、ひと息ついてから、お願い事やら質問やらをみっちり2時間。本を作るにはコンテンツなので、それがある程度のボリュームになるまでは、お金をかけずにああして、こうしてというアドバイスをしてくれた。ご本人はもっと聞きたいこともあったと思うが、初回はこんなものかもしれない。お互いパワーがあるから、いつかは日の目を見るかもしれない。
 
 新宿まで帰るというので、途中までタクシーに乗せてもらう。友人とは10年以上も会っていないが、病気を患うこともなく暮らしているとのことで安心する。元気であれば、いつかは会える。1時前帰宅。ツマ以外と久しぶりに長い話して少し疲れた。

19.3.6 偉そうになった渋谷で昼飯を食べる

 曇りときどき小雨、14℃。
 
 12時、渋谷で友人と昼飯を食べるため代々木まで歩いていると、後ろからこちらの名前を呼ぶ声がする。振り返ると、よく仕事をくれる取引先のデザイナーで、おかげで道すがら仕事の進捗状況を聞くことができた。
 
 久しぶりに降りた渋谷駅は周辺が偉そうな高層ビルだらけとなっており、ますます空疎な街になっていた。全部完成する時期はいつなのか分からないが、どうでもいいやという感じ。
 
 待ち合わせ場所に最初駅ビルの中を探したが、おっさん2人でこぎれいなところは何だか気恥ずかしく、再開発エリアから取り残された道玄坂の居酒屋にする。おしゃれ感なし、ザ・昭和という感じだったが、マグロ、ネギトロ、刻んだ沢庵が入った海鮮丼はボリュームがあって実に旨かった。十分、満足。
 
 30分ほどで店を出て、新しくできた高層ビルのどこかでお茶を飲もうとしたのだが、ゆっくりできそうなところが見つからない。ピカピカの店はどこもかしこも似ていて選び切れない。そのうち探すのが面倒になり、結局、代官山まで歩いてスタバのテラスに行くことにした。空の下でコーヒーを飲みながら、仕事の話やら、頑張っている友人たちの話でだらだらと過ごす。幸い花粉はさほど飛んでおらず、気持ちがいいこと。
 
 それにしても、代官山という街はベビーカーを押している若い母親のたまり場になっているようで、スタバにいる間に6組、駅に向かう途中でさらに数組とすれ違った。あとは子犬を連れている若夫婦。服装もどこか似ていて、ちょっと奇妙。
 
 その足で新宿に向い、小田急デパートに寄って、近所の図書館で本をピックアップして帰宅。スマホを見たら今日1日で8キロも歩いていた。明後日あたり、筋肉痛になっているだろうな。

19.3.11 雨上がりに汗をかく

 小雨のち、晴れ。18℃。
 
 3.11から8年。早くもあり、長くもあり、世界は変わったような、変わらないような。その後にも大きな自然災害が続いたために感覚が麻痺し、あの壮絶な体験さえ風化してしまいそうだ。
 
 午後2時過ぎ、浜松町の代理店へ。ジャケットを着て出たものの、どんどん気温が上昇し、着いたころはうっすら汗をかくほどの暑さになった。3件の仕事の打ち合わせ。どれも仕事量は大したことがないが、いつもと同じようにスケジュールがタイト。まあ、しょうがない。帰りがけに新宿の紀伊国屋書店によって企業経営の本を物色するが、いま一つ。買わずに帰る。以後、夜中まで次週行う取材の下調べなど。
 
 録画をしておいたNHKスペシャル「あの日の星空」を見ながら、一人酒を飲む。あの日の夜、東北の太平洋側は冷え込んだもののよく晴れて、昼間見た地獄絵も忘れてしまうほどの星空が広がっていたそうだ。その眺めに勇気づけられた人が多い中、番組では一人の60代の女性にスポットを当てていた。この方は30歳の娘と5歳の孫が行方不明になり、連絡が取れないまま夜を迎えていた。そして、家族を思いつつも、あの日見上げた星空を美しいと感じた自分をずっと責めていたという。そういう体験をした人は少なかったようで、やがて新聞の投稿欄にあった「亡くなった人たちが間違いなく天国へ行けるように星が輝いて道しるべになってくれた」という話を読んで、慰められたという。家族にも話したことがなかった思いをカメラの前で話し、涙がとまらなくなっていた。悲しいけれど、美しい物語に、こちらももらい泣きしてしまう。ちゃんと胸に刻んでおかなくちゃ。

19.3.15 虎の子18周年を祝っていただく

 晴れて15℃。気持ちがいい。
 
 朝はベランダの紅葉に水をやるのが習慣になっているのだが、日に日に蕾が膨らみ、若葉が今にも顔を出しそうになっている。当たり前のように春が近づいていることがうれしい。
 
 日中は次ぎの仕事のための資料読みと取材準備。頼まれた仕事は音沙汰なく、まったくもって手持ち無沙汰。暇過ぎて調子が悪いなぁ。
 
 夜8時過ぎ、虎の子へ。本日は常連さんの発起で、店の18周年を祝って頂く。I子さんがピアノを演奏、Yちゃんは三味線を鳴らし、Kちゃんはウクレレを弾き、まあ、にぎやか。隣の店のお客さんは、はちゃめちゃな音楽になんと節操がない店と思われたのではないだろうか。でも、なんだかホームパーティを開いているかのようで、皆さんが寛いで楽しんでいるようでうれしかった。
 
 カウンターにいた大常連のYさんに何の流れだったか忘れたが、遠い昔、4週間ヨーロッパを一人旅して帰国2日前にパスポートなど貴重品を入れたバッグをベニスの駅前でスリに盗まれた話をしたところ、えらく面白がってくれた。。警察、バッグ屋、ホテル、大使館、クレジットカード会社、航空会社をぐるぐる回って本当にギリギリのところで帰ってきたのだが、今となってはマヌケな笑い話である。その後、庭師のOくんが来店。彼は下北沢に店があった8年前から通ってくれ、今はうちのマンションの共用庭の植栽の管理までお願いしている。春になるとかつて下北沢店に咲いていた桜の孫にあたる桜を持ってきてくれるのだが、今年はめちゃくちゃ格好すいい枝垂れ桜を2鉢持ってきてくれるとか。店内で夜桜見物ができるとは、贅沢なことよ。
 
 少しハイペースで飲んだせいか、酔いが早く回り、お祝いに来てくれた皆さんには申し訳なかったが、11時過ぎに失礼して店を出た。それにしても、いい夜が過ごせました。常連の皆さん、本当にありがとうございました!

19.3.20 桜の開花宣言が早過ぎる

 快晴、21℃。暑すぎ!

 朝10時、取材のため国分寺へ向かう。国立には何度か仕事で行った記憶があるが、ここは初めて降りたかもしれない。勝手ながら国立のように駅前に広場があり、緑の並木が続くイメージを抱いていたが、緑は皆無。10階ほどの新しいビルが並んでいるだけだった。取材先は駅から近いはずだが、目印として書かれていた建物自体が見つからず、右往左往。途中、駅から出てきたプロデューサー氏の姿を発見し、事無きを得る。取材は1時間の予定が20分以上オーバー、よくしゃべるご担当の方で助かった。食品業界の裏話に、仕事だということを忘れて聞き入ってしまう。

 次の予定があるプロデューサー氏と分かれて駅前で昼食を済まそうとしたが、午後2時に荷物が届くことを思いだし、駅ナカの立ち食い蕎麦でごまかす。それにしても暑い。車中日が当たる側に座っていたら、頭が居たくなるほど。3月だというのに20℃超えとは、今年の夏が思いやられる。ネットのニュースでは長崎で桜が開花したらしい。やれやれ。

 夕方、病院へ。医者に呆れられるほど、血圧は平常値。すばらしいこと。以後、夜中までテープ起こしなど。取材は楽しいが、この作業はつまらない。本当は半分終わらせたかったが、4分の1しか進まなかった。12時過ぎ、ツマ帰宅。最近はホームページを見て来店してくれるお客さんがチラホラいらっしゃるそうで、そうんな話でちょっとだけ盛り上がる。ありがたい限り。マメに更新しなくては。

19.3.24 世話焼きの焼き肉屋に辟易する

 快晴、14℃。ちょっと寒。

 年度末のせいもあり、仕事はこのところヒマヒマ。来週の取材用にダラダラ下調べをしてすごす。

 時間があったので「気候で読む日本史」という本を読んでいたのだが、ページを捲るたび発見があり、勉強になった。何十年も前から地球温暖化の問題がいわれているが、なんのことはない、日本人は(西欧人もだけど)記録が残る1400年前から異常気象と戦ってきたのである。温暖な時代はむしろ稀で、奇跡に近い。降雨・寒冷・高温・乾燥を繰り返し、さらには火山の爆発や虫害の発生するたびに人々はあっさり死んでいた。自然に翻弄されっぱなし生活が少しずつ改まるのは、農業技術が発達(家畜の糞を田畑にいれる、鉄の鍬で耕地を拡大する、溜池や水車で灌漑施設で収量を増やす、乾燥や寒さに強い作物を作るとか)してからのことである。

 印象的な内容が盛りだくさんだったが、今も西日本で行われている二毛作の始まりが意外だった。平安時代初期、夏場に旱魃が続いて十分米がとれなかったときのため、冬場の裏作として麦をはじめ雑穀の栽培が奨励されたらしい。しかも、為政者は江戸時代に入るまでそれに対しては徴税しなかったため、農民も懸命に作ったらしい。米は納めるものであるため食事はおのずと麦などが中心で、そのためにそうめん、うどん文化が発達したものらしい。なるほどなぁ。勉強になるなぁ。

 夕方、ツマと外出。代々木に出て夕飯をとることに。焼き肉屋に入ったのだが、大外れ。店員の能書きが長く、何かと世話を焼きたがる。注文を取りたがる。こっちがじっくり焼きたい肉もひっくり返し、皿にとりわけてしまい、グラスに酒が残っているうちから「何かお飲み物は」と聞いてくる。そういうのはきめ細かいサービスとは言わないのだよ、オネエちゃん。食べログで持ち上げるほど肉はおいしくないし、店員はただただ元気なだけ、声がやかましいだけ。まったくもって落ち着かず、1時間あまりで店を出た。ざーんねん。

 帰宅して飲み直し。あまり評判がよろしくない大河ドラマ「いだてん」を見て過ごす。たしかにストーリーは分かりにくいが、役者はうまいし、セリフが面白い。なぜ人気が出ないのがすごく不思議だ。

19.3.28 鶴川の里をぶらりと歩く

 曇って、17℃。

 予定していた取材が急遽延期となり、時間が出来てしまった。差し迫った仕事もなかったので、昼過ぎに以前から行ってみたかった小田急線鶴川にある「武相荘」を訪ねることにした。白州次郎・正子夫妻の旧邸宅で、昔の姿のまま今は記念館になっている。鶴川は準急に乗り換えて40分ほど。鶴川は程よい都会で駅前は高いビルが多く、平日なのに人が多かった。頭に入れておいた地図を思いだしながら、鶴川街道を15分歩く。風は冷たかったが、空が広くて気持ちがよく、ところどころ残る雑木林の緑が目にやさしい。坂道はあったが、それもまた楽しい。

 武相荘の廻りは住宅街として開発されていたが、敷地の中は別世界だった。竹やぶの間に道が続き、異界に入っていくかのよう。階段を昇るとテレビや雑誌で見かけた、茅葺き屋根と漆喰の壁が美しい建物が見えた。1階の多くがギャラリーになっており、板の間には、夫妻の生活がかいま見えるような縁の品や雑誌、骨董の目利きだった正子が選んだ食器や家具、布、人形などが並べられていた。一番奥が正子の書斎になっていて、壁のほとんどが本棚に並んでいた。どんな本を読んでいたのか思い、目を凝らすと、こちらも読んだ本が三冊あって、ちょっと嬉しかった。あと、サンフランシスコ平和条約で吉田茂が読んだ受諾演説のレプリカが見られたのもよかった。ただ、見るところはそこだけなので、20分ほどで出ることになった。これで入場料1050円は少し高いかな。個人で運営しているのだから、それもしょうがないことではあるが。

 武相荘を出て丘を登り、来たときとは違う道を使って再びの鶴川街道へ出る。少し足を伸ばして貯水池を眺め、最後はくたびれてバスに乗り、駅に戻った。ラーメン屋や探して夕食。総菜屋でコロッケを買い、小田急線で帰宅。以後、図書館で借りてきた仕事関係の本を深夜まで読み込む。

 初めて降りた鶴川は自然が多く、それなりに都会で、かなり好きな街だった。あと何年かして仕事を辞めたら、あの山を眺めて暮らすのもいいなと思えた。