23年5月22日(月) 地魚で腹が朽ちる
曇りのち雨、29℃。
先々週会った品川のデザイナーと、こちらの自宅がある町との中間地点の藤沢で待ち合わせ。喫茶店でこれから始まる芸能プロダクションの仕事に必要な、SLACKというビジネスチャットの使い方を教わる。ビジネスの現場ではPCメールは使わず、こうしたツールを使うそうで、恐れ入りましたと頭を掻く。すっかり浦島太郎気分である。
その後、藤沢でよく行く居酒屋が定休日だったので、姉妹店に行く。こちらは釣り船が釣った地魚が売りの人気店。月曜日だからと予約をしないで寄ったのだが、ラスト1席。次々来客があり、あっという間に満席になった。9品ほどの刺し身盛り、身が厚く切られ、それだけで腹がいっぱいに。名物のおから、ホタテの酢の物もうまかった。よもやま話で1時間半滞在。腹の刺し身を消化するのに、駅前の立ち飲み屋で1時間弱。こちらが店に入った後は女性客が4組続き、バイト君たちのテンションもあがること、あがること。まー、ええことですな。
23年5月12日(金) ロバの映画を観た後、虎の子に寄る
曇って22℃。
夕方4時過ぎ、体のメンテナンスのため代々木上原へ。その後、新宿まで足を伸ばし、久しぶりに映画を観る。「EO」といってロバの目を通して人間どもの世界を描いたロードムービーのような作品だが、ストーリーが素晴らしく圧倒された。ロバがいとおしく、彼が何かの巡り合わせで自分の飼い主に再会できないかと願うばかり。そして、人間はいつの時代も醜悪存在であることをを思い知らされる。頭が火照るいい映画でした。
店に顔を出すと音楽家の常連さんがいて、楽しい酒が飲めた。盛岡でお土産に買ったという行者ニンニクをおすそ分けでいただく。ご本人もお浸しでも作ろうかなと言うので、3日か4日誰にも会わないならいいけれど、そうでなければ止めた方がいい、とにかく想像以上に臭いですよと教えてあげる。
ツマと12時台の電車で帰宅。金曜日のせいもあるが、車内は肩が触れるほど混みあっていた。コロナはこのまま消えてくれればいいなぁ。
23年5月10日(水) 五反田で美味い酒を飲む
快晴25℃。でも夜は寒いのであーる。
夕方、デザイナーの後輩と打ち合わせのため、電車を乗り継いで品川へ。武蔵小杉から横須賀線に乗れば早く着けたが、その手があるとは知らず川崎まで行ってしまい、ちょっと遅刻する。久しぶりの品川はとにかく車が多く、とにかく喧しくて圧倒されてしまう。
自主プレの企画、打ち合わせほぼ1時間。東五反田まで歩いてレトロな居酒屋に入る。6時半だというのに、ほぼ満席。年配の店主とお運びさんがひっきりなしに注文を聞いて回り、活気がある。メニューは王道の居酒屋メニューで、懐かしい雰囲気。値段も大衆的だ。いい感じ。が、入り口に堂々喫煙可とうたっていることもあり、ほぼ全員がタバコを吸うのには参った。いまどきこれほど喫煙者がいるとは。加えて10人ほどの若者の団体さんの席が近く、誰かが話すたびにドハハハ笑いが続き、本当にうるさい。必然的にこちらも大声で話さなければならず、煙と相まって喉が痛くなった。1時間ほどでお勘定してもらう。
2軒目は、五反田駅近くのピンク街の先にある超シブイ焼とん屋。新宿にある有名店から独立し、のれん分けして開いたのだとか。そこは前の自宅から近く、何度か行ったことがあったのだが、何しろ人気店だったもので予約ができないことが続き、足が遠のいた。デザイナー氏は会社の後輩でもあり、こちらの弱いデジタルに精通しているのて、今どきの業界事業を教えてもらえる。5年前からのつきあいだが、実は虎の子が下北沢にあった時代にお客さんとして来たことがあると知って、急に距離が縮まった。これも桜がつないでくれた縁なのかもしれない。帰り際、とある芸能プロダクションのHPの仕事を頼んでいいですかと聞くもので、快諾する。
今夜は美味い酒が飲めて非常にうれしい。
23年5月3日(祝) 湘南の海岸散歩で日焼けする
快晴23℃。風が強く、寒いほど。
午後、湘南から富士山を眺めようとツマと茅ヶ崎へ向かう。このところのニュースでは鎌倉や江ノ島が人でごった返していると言っていたが、茅ヶ崎はガラガラ。駅から40分ほどかけてのたりくたりと海岸まで歩く。ウインドサーフィンを走らせている人はいるが、サーファーは5人ほどしかいない。海岸でバーベキューやサウナを楽しんでいるグループの方がはるかに多かった。狙っていた富士山は霞んでおり、期待した姿が楽しめずしまい。うーむ。再び駅まで歩く。
藤沢に移動。ネットで見つけた蕎麦粉料理の店に向かう。人気店らしく、5時開店でその直後に8割方の席が埋まった。いろいろ気になるメニューがあったが、コースを注文して様子を見ることにする。前菜はそれほどではなかったが、久しぶりに食べたガレットの味が上品。蕎麦(蕎麦粉8割、セモリナ粉2割)の生パスタを食べたのは初めてだったが、もちもちとして触感が心地よく、これちらも素晴らしい出来。二人ともワインのペースが上がってしまい、2時間で2本も明けてしまった。いい年した夫婦の食べっぷり飲みっぷりではない。大満足して帰宅した。
が、電車の中で顔が妙につっぱってくるのを感じた。蕎麦アレルギーのはずはないので、おそらく1時間半ほど直射日光を当たって、皮膚が炎症を起こしたのだろう。何をやっているんだか。
23年4月28日(金) 早起きして都心へ出かける
快晴24℃。気持ちよし。
久しぶりに早起きし、取材のため7時台の電車で都心へ向かう。車内は満員、マスク姿が多いものの、誰も話す人がいない。外国人の目には異常な光景に映るだろう。
10時からインタビュー1時間余り。相手は理科系出身の社長だが、なかなか具体的な内容を語ってくれず、原稿の仕上がりがチラチラ頭をよぎる。ともあれ11時前に終了。朝から何も食べていなかったので新宿で昼食を取るつもりが、昼飯時のためどこもかしこも人の列。30分ほど探し回るはめになり、なんとかつけ麺屋に入ることができた。可もなく、不可もなくという味だったが、店員さんの明るい声が気持ちよかった。新百合ヶ丘で税金を納めて帰宅する。
さて、明日から大型連休。特に予定はないが、このところの憂さが晴れる方法を考えなくては。
23年4月26日(水) 眼の痛みが嘘のように消える
小雨、19℃。
昨日、眼鏡屋でデスクワーク専用の眼鏡を受け取る。それをかけてわずか2日だというのに眼底のピリピリした痛みが消えた。嘘のよう。さすが某レンズメーカーの指定医だけのことはある。このところ朝は起きて2時間ほど目が使い物にならなかったが、これで集中力が増すというもの。おーし、頑張って仕事のペースを上げるか。
23年4月22日(土) 露天風呂でさっぱり、蕎麦で〆る
曇って18℃。
店が休みのツマと夕方、バスに乗ってよみうりランドの大型銭湯へ向かう。本日もほぼ人混みだらけではあったが、段々要領を覚え、ほぼ全部の風呂に入ることができた。ウェットサウナもたっぷり10分過ごして汗を絞り出した。うー、気持ちがいい。風呂上がりに食堂でハイボールを1杯。もちろんそれで終わるはずもなく、馴染みの蕎麦屋に電話、席を確保してもらう。
店に到着したのが6時過ぎということもあり、ほぼ満席。料理の到着を少し待つことになったが、それもご愛嬌である。まずは熱燗。蕎麦前は3品頼んだが、そのうちのアオリイカの木の芽和えが絶品で、陶然となる。本日の生酒は「磐城寿」を所望。知らない銘柄だったのでラベルを見ると、酒蔵があるのは山形県長井市となっている。はて、これはどうしたものか。すると、店主がやってきて、「もともと蔵は福島県浪江町にあって震災で失った。が、たまたまその1カ月前、巡回指導があり、家付酵母を試験場に持ち帰っていたため、避難先の山形で酒造りを再開することができた」と説明していただいた。そのストーリーを聞いただけでも酒が進むというものである。最後に大ざるを夫婦で1枚。
風呂といい、酒といい、蕎麦といい、大満足の一日を過ごした。
23年4月12日(水) 眼鏡をつくる
晴れて24℃。夏が近いなぁ。
夕方、町田までPC作業用の眼鏡を作りにいく。実は先週土曜日に新宿にある某チェーンの本店に足を運んだのだが、指定されたレンズを扱っていないと断られてしまった。それでやむなくやや高級な某チェーンに頼むことになったのである。フレームは使っていないものがあったので、それを持参した。処方せんがあるので、フレームのコンディションチェックと処方せんの推奨レンズ仕様を満たすものかをチェックするだけ。レンズだけだが、特殊なものだけに4万円近くの出費になった。ま、それで目の不調から解放されるなら納得もいく。出来上がりが楽しみである。
夕食を済ませて帰ろうと思い、北口のある街中華の店に寄る。5時前だというのに、4人組の先客がガンガン酒を飲み、ドハハハハと笑いあっていた。それに誘われたわけではないが、こちらもビールと餃子、それからメンチカツ。野菜炒め単品とウーロンハイ。最後に半ラーメンを頼んで腹を満たした。しめて1600円ナリ。安いものだなぁ。企業努力に頭が下がります。
23年4月7日(金) 荒木町で静かに飲む
曇って21℃。
仕事を片付けて夕方外出。新宿で外国人観光客と並んで回転寿司を軽くつまみ、四谷荒木町へ。路地の飲み屋はどこもそれなりの入りで、街は3年前の姿にすっかり戻ったかのよう。
7時前に馴染みのバーを覗く。ここはスタートが遅いため、予想通り先客なし。ママさんと一緒にテレビで巨人広島戦を観る。それに飽きたら、世間話や旅行話、坂本龍一の話などにつきあってもらい、1時間半ほど過ごす。次の客が来るまでと粘ってみたが、田舎者はそれそれ帰らなくてはと、9時前にお勘定してもらう。
誰かと明るい酒が飲みたいなぁ。春だからなぁ。
23年4月3日(月) 目医者に診てもらう
晴れて18℃。
午後、眼鏡の処方せんを作ってもらうため、山手線某駅にある眼科クリニックへ。このところ外出するときは問題ないのだが、仕事をしているときにモノが見えにくく、特に朝は霞んでしまって1時間ほどはPCモニターを見ても焦点が定まらず困っていた。で、もうこれは仕事用の眼鏡を作るしかないだろうと思い、かかりつけ医を訪ねることにした。先生の見立ては左目の乱視と白内障が進んだとのことで、やっぱりという感じ。「これ以上進んだら手術を勧めますが、今のところはPC作業用眼鏡を作るのがよいでしょう」とのこと。実に分かりやすい説明で助かる。田舎から1時間かけてやってきた甲斐があるというものだ。
帰り道、一杯ひっかけたい気分もあったが、仕事があり、帰宅。しょうがないか。
23年4月2日(日) 坂本龍一も逝ってしまった
曇って19℃。桜散る。
朝イチのテレビで坂本龍一が亡くなったことを知る。高橋幸宏に続き、こんなに早くYMOメンバーが逝ってしまった。年末のストリーミングコンサートを見て、その日は近いだろうとは思っていたが、それが現実になると途轍もなく寂しい。聴き始めてかれこれ48年。「Tong Pu」「Behind The Mask」「Riot in Logs」「Bibo no Aozora」「Rain」「The Shertering Sky」。すべてがオリジナルで、氏の哲学がそこにある。これからも世界中でSakamotoの曲は聴かれ、演奏されることだろう。でも、新作はもう聴くことができない。その事実が寂しい。
気を取り直して、午後夫婦で外出。電車とバスを乗り継いで、よみうりランドの中にある温泉施設「丘の湯」に向かう。想像以上に広く、ジャグジー、露天風呂、サウナも充実しており、二人とも大いに気に入った。が、腕時計を無くしてしまったらしく、焦りまくったが、出がけのシーンを思い返して、最初から付けてこなかった気もしてきて心を落ち着かせる。帰りに月一度通っている蕎麦屋に寄り、夕食をすます。
複雑な心境の一日を過ごしてしまった。
23年3月25日(土) 谷中で豪快に飲む
雨のち曇り、14℃。
午後、ツマと千駄木へ。谷中銀座に入る前に肉屋の腰塚でレバーペースト、名物のコンビーフ、ハムがアソートしたものを買う。ぶらぶらと日暮里方面へ移動し、ツマは器屋で自分の手にしっくりくる箸を見つけて、喜んでいた。
前のマンションの管理人さん夫妻と庭師、虎の子のお客さんという奇妙な取り合わせで、とある昭和の居酒屋に集合。いくつかあるコースの中から軍鶏鍋を選んで飲む。その肉も豪快に切られた刺し身も大満足だったが、それとは別格で野菜がことのほか美味かった。芹、春菊、菜の花の苦味が鶏と昆布と出汁に上品に溶け、鍋の中で実にいい仕事をしていた。酒は初めの1杯を除いてずっと日本酒。平均年齢60歳だというのに、皆さん飲むこと飲むこと。6人でおそらく2升半は飲んだのではないだろうか。やがて腹はパンパン。〆のうどんは、食べるのに往生した。
下北沢の店に植わっていた桜を庭師のO君に枝を山取りしてもらい、それを以前のマンションで理事長を務めていたときにドサクサに紛れて中庭に移植。それをずっと守っていただいたのが現在も管理人さんも続けているWさん。桜がつないでくれた不思議な縁だが、波長が合い、話が楽しい。酒が美味い。今一番気軽に飲める仲間かもしれない。
で、店を出たのが5時半。酔い加減と時間の感覚があわない。2軒目は日本の古いレコードをかけるバーへ。国産のクラフトウイスキーとジンを口に運びながら、自分たちがオンタイムで聴いた曲をかけてもらう。時間があっという間に50年ワープする。あー、極楽。1時間電車を乗り継いでもおつりが来るほど、幸せである。
23年3月21日(火) WBCメキシコ戦に熱くなる
曇って18℃。
8時からWBCの日本対メキシコ戦をテレビ観戦。手に汗握る好試合。7回裏に吉田が3点本塁打で3対3の同点に持ち込んだが、直後の8回表に勝ち越しを許す。1点差を追っての9回裏は大谷が2塁打、吉田が四球を選び、1塁には代走の周東。ここで打席が回ってきたのが、不振の村上だったが、センターのフェンス直撃2塁打を放ち、大谷が生還して同点。さらに周東が大谷の背後に迫る猛スピードで生還し、サヨナラ勝ち! 朝からちょっと興奮する。
午後、新百合ヶ丘の先までジョギングする。麻生川沿いの桜は早くも満開となっており、かなりの人たちがカメラに収めていた。稲城市方面は緩やかながらずっと坂道で続き、けっこう息が切れる。自宅からジャスト5kmの地点で折り返すことにする。蒸し暑いおかげで、背中が汗でぐっしょり。体が軽くなった。
祝日なので夕方から酒タイム。ああ、平和であること。
23年3月18日(土) 温泉で頭が悩ましくなる
雨が降って、9℃。
午後、4年前から通っている整骨院の院長の推薦で、千歳船橋にある温泉に行く。バスを待っていたが、いつまでも来ない。そぼ降る雨の中、痺れを切らしてバス停2つ分を歩く。その間、バスが自分たちの脇を抜き去ると思っていたが、1台もなかった。どうしてなんだろ。
温泉は1時間の利用料が1100円。黒いお湯でいかにも体に良さそう。が、サウナに行こうとしたら男ども(当たり前だけど)がぎっしりで、隙間なし。そのな空間に見知らぬ人と裸のまま(当たり前だけど)15分なり耐え忍ぶことができず、すごすご戻る。ホームページにあったジャグジーの場所も見つけられず、再びお湯に入る。結局、温泉に10分だけつかって出ることになった。なんだかなぁという感じ。院長はここで仮眠や漫画を読んで5時間も過ごすそうだが、自分には耐えられそうにない。帰りはバスに乗ることにしたが、またも到着が遅く、10分待つうちに体が冷えてしまった。再び、なんだかなぁ。
降りたことがほとんどない街のため、ネットで居酒屋を探す。熱燗を入れて体を温めたくなり、囲炉裏がある店に入る。若者がやっている店だが、サービス係も調理人も対応のリズムがよく、ほっとする。刺し身、美味し。炭火で炙った鯖も、美味し。これで出汁の効いた料理があれば申し分ないのだが、まあ、しょうがない。駅前の中華屋で餃子を食べて帰宅する。
23年3月15日(水) 寿司屋の大将に声をかけられる
快晴、17℃。
午後、原稿を提出してジョギング。目的地を決めず柿生まで行ったが、走ったことのない道に入り、頭の中で地図を広げて新百合ヶ丘方面へ。さらに尻手黒川道路を超えて百合ヶ丘を目指すことにする。走り出したころは少し寒かったが、坂道を登ったり下ったりするうちに体が暖まってきた。知らない道を進むうちに新百合ヶ丘の駅近くに出たので、勝手知ったる道をずんずんと進む。と、新百合ヶ丘と柿生の中間地点に寿司屋があるのだが、そこの大将とおぼしき人がこちらを見て、「足、寒くない?」と足をパンパンたたきながら聞いてくる。「オレなんかモモヒキを履いてるよ」と。今日はスパッツを履かなくても十分暖かいのだが、水を扱う立ち仕事をしている人とは寒さの感じ方が違うのは当たり前だ。「全然平気。それより少し運動した方がいいですよ。体が暖まるから」と言ったら、「ありがとう」と言われてしまった。会話が成り立っているんだろうか、これで。
戻ってシャワーを浴び、次の仕事の資料を読む。なーんか、閑すぎて気分がポジティブになれないなぁ。
23年3月9日(木) 西参道がおしゃれになっていた
快晴、22℃。暑すぎる。
昼前、参宮橋のかかりつけクリニックまで薬をもらいに行く。以前は2カ月分をもらえたが、去年から厳格になり、1カ月分しかもらえないのが、面倒でしょうがないが、愚痴をこぼしたところでしょうがない。院長と診察3分、世間話を5分。花粉症の薬を出しておく? と言われたが、飲めば眠くなって仕事にならないことは経験済み。今日のところは我慢しておく。
昨年から工事をしていた西参道。今日行くと歩道のアスファルトがはがされ、石畳にするべく工事が進んでいた。高速道路下はコンテナが置かれて、カフェができたり、ギャラリー、スタジオができたり。まー、おしゃれだこと。住んでいたころは、掃除をしても1週間すれば空き缶や吸い殻がそこらに捨てられていたが、それが夢のよう。マスコミに採り上げられたら、賑わうのだろうな。ちょっとうらやましい。
帰宅して仕事再開。来週提出予定の原稿、8割の出来。ここからは推敲を重ねていこうっと。
23年3月4日(土) まずいイタリアンに呆れる
晴れて17℃。春じゃ、春じゃ。
午後、3度トライして3度挫折したジョギングコースに、懲りずにトライ。新百合ヶ丘から4kmほど東にある麻生区のスポーツセンターを目指す。途中の急勾配にめげるが、なんとか到着。帰りは坂道を下るところが多いので、足が軽かった。それにしても川崎市麻生区というのは、新百合ヶ丘周辺だけがこぎれいな街づくりが進められ、それ以外は30年前で時間が止まっている感じ。柿生エリアは道路が整備されておらず、道幅が狭い。走っていて気分がめげてくる。
夕方、ツマと外出。新百合ヶ丘のイタリアンで夕食を取ることにする。なかなかの人気店なのか、予約してから20分も待たされた。しかし、店内に入ると席はけっこう空いているのである。はて、これは? ホールに4人、厨房に2人、レジに1人。メニューの数を考えると、明らかに厨房スタッフが少ないので謎が解けた。きっと調理担当のアルバイトが集まらないのだろう。
やーっとビールが到着。ワインはせいぜい600円のものが2400円もして、ツマは憤慨する。が、それでもドリンクはまあ許せる。肝心の料理が、どれもこれも美味くないのでまいった。愛情の欠片も感じられず、おざなりな感じ。二人してこれはダメだとなり、パスタもピザもオーダーせず、店を出ることにする。が、まだまだ腹は6分目。で、何度か行ったことのある中華料理屋で口直しをすることにしたのだが、蒸し器が壊れたとかで、名物の小籠包もシューマイも食べられず。それ以外のメニューは良かったが、なんだかなぁ、ついてないなぁという一日だった。
23年2月24日(金) ウクライナ侵攻1周年の日をぼんやり過ごす
曇って、12℃。
仕事が一段落。夕方、年が明けてもずっと行けなかった荒木町のバーに向かう。金曜日だというのに、通りは人影が少ない。あ、そうか、今日は15日。サラリーマンであれば給料日なので、仕事仲間と飲んでいるのかもしれないな。
開店時間が6時半だというのに、看板に灯が点いて折らず不安がよぎったが、店主がバタバタと準備をしていた。味付けがピカいちの野菜の煮物を肴に、ビール、ウイスキー、焼酎を。去年の今日、ロシアがウクライナに侵攻したが、それから1年で世界は変わってしまった。その間、日本人はコロナ禍の過ごし方も、戦争の話にも慣れてしまって、世間の話題にも上らない模様。どうしたものだか。
ママさんとよもやま話で少し盛り上がり、1人飲みの女性客が入ってきたところで、こちらは辞去する。2時間半の滞在で、すっかり酔っぱらう。
23年2月22日(水) 新しいジョギングコースを見つける2
快晴、10℃。
今日もジョギングの新ルート開発で、百合ヶ丘方面まで。先日電車で行ったばかりの居酒屋を目指す。気温は低いが、風もなく、足が軽い。目的地辺りは地域でも一番の高台で、歩いてしまったが、ほぼ予定した時間で到着できた。往復12km、約1時間ってところ。この調子で距離を延ばしたいものだ。
帰宅して仕事再開。提出日まであと1日の原稿を推敲する。まあ、こんなものかなというレベルまで手を入れ、早めに酒を飲む。あー、平凡だけど、充実した一日。
23年2月18日(土) 新しいジョギングコースを見つける
快晴15℃。春〜。
朝から真面目にお仕事。午後、背中のコリが激しくなったので、小休止してジョギングに出かける。今日は緑山、奈良町から成瀬台方面に足を延ばす。ただただ住宅街が広がっているのだが、大きな公園はあるものの街路樹がなく、夏場は走るのが厳しそうである。街の中心にいくつか商店や小さなスーパーはあるものの、飲食店がほぼ見当たらない。これではわが夫婦は暮らしていけないが、子育て世代はお金を使いたくても使えないこの環境が都合よいかもしれない、などと考えて10kmほど走る。
本日、虎の子は定休日ながら、ご常連さんの願いで店を開いた。ということで、こちらは夜中まで仕事。手間のかかる案件だが、前半部分の山場が越せたので、少し安堵する。
23年2月13日(月) 鍵を落ちして焦りまくる
曇って10℃。
朝から原稿書き。夕方、マッサージのため代々木上原へ。その足で虎の子に寄る。ご常連さんと世間話を交わしながら、熱燗を飲む。血行がよくなったところで引き上げる。で、駅の近くのスーパーで買い物を済ませ、帰宅したのだが、あーれー、鍵がない、どこを探してもない。どこに落としたものやら、とりあえず外出したルートを歩いてみたが、見つからない。とりあえずツマに連絡すると、帰宅するのが10時半過ぎと。どこかの居酒屋で待っているとだけ伝えたが、ここでスマホのバッテリー残量が10%を切っている。やば。さらに焦ってコンビニでバッテリー充電器を購入するも、コネクタが違ってiPhoneに充電できない。どうしよう。駅でツマの帰りを待つしかないとも思ったが、30分待てど現れない。店に寄ったところで、居場所も伝えられない。しょうがないので、さっき通った帰り道をトボトボ戻ったら、鍵があった! 川沿いの空き家のベンチで鳴いていた猫が不憫でバッグにいれていたパンの端っこを投げたら、どうやらそのはずみで落としたらしい。助かった。良かった。
酔いがすっかり醒めた。バッテリー充電器のお金は捨ててしまったが、まあ鍵が見つかったのだから良しとする。それよりも自分がツマのスマホの番号を覚えていない事実にがく然とする。次ぎがないことを祈りつつも、最低限の対策をしておかなくては。
23年2月10日(金) 大雪予報を鼻で嗤う
雪降って3℃。10cmほど降ったが、午後にはあらかた消えました。
昨夜のテレビで盛んに東京の大雪予報を伝え、厳戒な注意が必要と繰り返していた。が、北国出身者としては何を大騒ぎしているのかと鼻で嗤いたくなる。たかだか数cmの雪を、なんと大仰な。台風情報もそうだが、テレビがはしゃいでいるとしか思えない。
午後、梅ヶ丘まで髪を切りに外出すると、すでに雪が雨に変わっていた。もうちょっと頑張れないかと叱りたくなる気分。夕食は店を休んだツマと鍋をつつく。雪見鍋ができなかったことが残念。
23年2月4日(土) ふぐパーティで酔っぱらう
曇って11℃。少しずつ日が延びて、うれしいことよ。
昼前、自宅から3kmほど離れた酒販店まで日本酒の買い出し。相変わらず品揃えは申し分なし。あれにしようか、これにしようか、悩むのが楽しい。この店が駅の近くにあったら、どんなにいいのに。
3時前、外出。代々木上原で体を揉み解してもらう。その後、常連さんのピカピカのご自宅を訪ねて4人でふぐパーティ。ふぐ刺し、からあげ、ひれ酒を堪能する。それにしても窓の向こうに空が広がり、夕暮れがじっくり楽しめるところは羨ましい限りである。
辞去したのは午後9時過ぎだったか。マッサージで血行が良くなったこともあり、最後は時間の記憶がまったくなし。
23年2月1日(水) 新百合ヶ丘まで歩いてシャツを買いに行く
快晴、13℃。春だなぁ。
朝イチから取りかかっていた原稿を、3時過ぎにメールにて送信。以後、仕事の予定がなかったので、新百合ヶ丘まで歩いてシャツ(下着のですよ)を買いに行く。往復8kmと距離はあるが、先月は久しぶりに月間150kmという目標をギリギリ達成できず、2月は初日から自分にカツを入れることにした。
平日のイオンは広いフロアに店員も客もまばら。これまで5回ほど来たことがあるが、そのたび似たり寄ったりの状態で、このまま営業が続けられるのだろうかと心配になるほど。で、シャツは買い慣れたものがなく、妥協して4枚購入することに。自宅に戻るころにはうっすら汗がにじむほど。シャワーを浴びて気分を一新。以後、次の仕事の準備を進める。
23年1月25日(水) 看板料理の餃子をなんとかしてもらいたい
快晴、3℃。寒すぎる。
朝起き、ごみを出しに行くと中庭が一面霜柱。大寒は過ぎたが、寒さはとうぶん続きそうな模様。
昨日予定していた仕事が急遽キャンセルされ、おかげで別件の仕事が早く仕上がった。こんなときは街中華でぼんやり夕食を取りたいが、あいにく自宅から2km先の場所にあり、この寒さでは気持ちが萎える。で、今日のところは読みかけの本を持って近所の中華チェーンへ向かうことにする。ここにはジャストサイズメニューという半分量の料理のメニューがあるのだが、酒の肴にちょうどいいのである。
気に入っている角の4人席に案内され、温かい紹興酒と、ホイコーロ、餃子を注文。看板料理である餃子は少し皮が厚くて、もっと頑張れと言いたくなるが、3個というのはありがたい。ホイコーロは好きな味である。で、紹興酒をおかわりして最後に麻婆豆腐を追加して1時間弱ほど過ごす。店内は賑わっていたが、無礼者がおらず、喧騒の中で読書もできた。これぐらいの贅沢で、今夜は十分に幸せである。
23年1月19日(木) 八重洲ブックセンターで教えられる
快晴、9℃。
昼前、某社社長を取材するため京橋へ。久しぶりに表参道で銀座線に乗り換えると、おしゃれな若い女性が多くて、目がくらくら。皆、頑張って生きてますな。
京橋はかつて勤めていた会社があった。東京駅から歩いても10分足らずながら、表通りを折れると古い佇まいが残っていて、下町風情があった。が、今は街がまるごと再開発され、すっかりすまし顔の街になっていた。
最初に撮影、後から取材のため待機1時間半。その間、別の仕事を片づけ、呼ばれるのを待つ。1時間みっちり話を伺い、こんどは頭がくらくら。事前情報を詰め込んで臨んだものの、新しい情報を整理するのに神経を使い、疲れてしまった。
その足で八重洲ブックセンターへ。ここも再開発で一時閉店することになっているとのこと。あてもなく歴史書のあたりをぶらぶら。魅力的なタイトルが多かったが、本日はPCを持って移動し、資料も多かったため、購入を断念する。エスカレーターを降りかけていると、80代半ばあたりの男性が歩行補助器を押しながら店内を物色しているが見えた。補助器の下にはすでに購入を決めた分厚い本が4冊も。もしかすると大学教授か、退職された経営者か。失礼ながらそのお年で知的好奇心が旺盛とは恐れ入る。
中央線から小田急に乗り継いで帰宅。夕食を立ち食い蕎麦でごまかし、仕事夜中まで。こんな生活が年末から続く。あと1週間頑張れるかな。
23年1月15日(日) 高橋幸宏が逝ってしまった
曇って12℃。
昼過ぎ、久しぶりに近所をジョギング。鶴見川に沿って10kmほど走る。風は冷たかったが、やがてうっすら汗もかき、心地よくなる。
高橋幸宏氏が11日に亡くなっていたとのニュースに接して、残念な気分でいっぱいになる。先日NHKで痩せ衰えた坂本龍一氏のピアノコンサートを悲しい気持ちで観たばかり。続いてこの訃報は堪える。氏の正確なリズムを刻むドラムプレイなしにYMOはなかったし、肺活量の少ない鼻歌のような歌い方も彼が始めた。おしゃれで、穏やかで、先進的。肩に力を入れない飄々とした表情が格好良かった。
今の日本に彼の後継者がいるのかどうかは知らないけれど、世界のどこかにきっといる。そのミュージシャンにいつか出会えることを信じたい。
23年1月13日(金) 有楽町で思い迷う
快晴、14℃。春めいておりました。
昼過ぎ、数年ぶりに有楽町へ。某社の社員向け経営説明会に同席し、社長の長ーーーーいお話を聞く。来週の社長取材のネタをここで拾うようにということだったが、まー、それにしても長い長い、2時間半も続くとは思わなかった。昨年末に依頼があった案件だが、知る人知る優良企業で、財務内容、経営成績はびっくりするほど。こんな会社があるとは、自分の無知を恥じる。
すっかり体が冷えたので早い夕飯を取ろうとラーメン屋を探すが、外食では塩分が気になってしまう。結局、吉野家に入って塩豚鍋定食というお初のメニューを頼み、ササッとすます。こちらの前後に似たような注文をしている男どもが3人いて、その全員がご飯大盛りのお替わりをする。無料なのかは分からなかったが、ご飯茶わん換算すれば3杯。へー、さすがにそれはもう食べられそうにない。その足で交通会館のどさんこプラザで魚を買って帰る。
帰宅してすぐテープ起こし。しかし、やれどもやれども終わらず、夜中12時までかかって半分もできず。が、背中のコリがひどくて仕事が続けられない。この状態があとどれくらい続くのだろう。ちょっとブルーな気分になる。
23年1月7日(土) 大きな月が昇る
快晴、10℃。ブルッ。
朝から真面目に原稿書き。なんだか、ずっと年末の気分が続いている。夕方、参宮橋のクリニックへ。正月明けで混雑しているかと思ったが、そうでもなかったのが幸いである。薬をいただいて、某駅へ。ネットで見つけた魚を原始焼きで食べさせる店でツマと待ち合わせる。駅から10分ぐらい歩いたところにあるのだが、アップダウンがなかなか厳しく、走っていると息が上がってしまった。店手前の公園の上に今年初めての満月が上がっていて、ちょっとうれしい。
店は先客なく、ツマが日本酒を飲んでいた。が、ちょっと甘口すぎ。総菜3品盛りは見た目も、味も、文句なし。が、酒を替えたが、またも外れ。おしーい。念願だった焼き魚は炭火で焼くもので、あっという間に店全体が暖くたった。10分ほどで鯖到着。実に旨い。これで酒のチョイスがよければ、通うのになぁ。あー、もったいない。
2軒目は普通の焼鳥屋へ。店主1人にもかかわらず、客席は15席ほど。それでも手際よく、注文が溜まらないところが素晴らしい。先ほどの店とはまったく趣がことなるが、これはこれで良し。レバーとタン串焼きが旨かった。ふー、満足。ほんと、こんな店があったら幸せな毎日が過ごせたのになぁ。
23年1月5日(木) 寒さが染みるなぁ
快晴、11℃。でも、寒い!
業務報告 虎の子は昨日より通常営業。お酒大好きな皆様、本年も御贔屓のほど、よろしくお願いします。
年末年始は控えていたジョギングをスタート。鶴見川北上、薬師池公園コースを1時間20分ほど。日差しが暖かく、春のようである。戻ってPR誌の企画についてプロデューサー氏と電話で打ち合わせ。その後、代々木上原で体のメンテナンスして帰り、仕事を再開する。
それにしても寒いこと。風もないのに冷気が空から落ちて、首もとが寒いこと。体に冷気が染みる年明けだこと。
22年12月30日(金) 銭湯帰りに髪を切る
曇り、12℃。
午後、代々木上原へ。店の営業は昨日までだったが、こちらには階段の大掃除という仕事が残っている。金属タワシで汚れを落としていくのだが、なかなかの重労働。1時間余りでなんとか終えたが、腕も背中もパンパンになる。銭湯で汗を流し、頭も濡れた状態で梅ヶ丘へ。馴染みの美容室で髪を切る。その間、マスターと地元のとんかつ屋の話で盛り上がる。その後、祖師谷大蔵へ。居酒屋に入るが足があまりに寒く、1時間で退散。ツマが常連になっている居酒屋へ移動し、おでんで暖まる。あー、いい頃合いだこと。
冬季オリンピックでカーリングやスピードスケートで盛り上がったと思ったら、その最中にロシアがウクライナに侵攻。あっという間に負かされるかとと思ったら、NATOの支援でウクライナが反撃。プーチンが核で脅し、原発を攻撃するが、占領地の奪還が続く。コロナ禍が収まらない中、世間の飲食店は通常営業を復活、でまた感染者が増えている。なんという年だろうな、まったく。来年はどうかよい年になりますように。
22年12年24日(土) 田舎の料亭でイブを過ごす
快晴11℃。
この2年イブの夜は地元のフレンチを楽しんでいたのだが、5割も値上げしたので諦めることに。かわりに見つけたのが、自宅から丘をいくつか越した先の里にある料亭である。最寄り駅なし、どこからも遠い。歩けば30分でつくが、さすがに山道を歩きたくない。かといって、タクシーを使えば2500円もかかる。しょうがないので行きは柿生からバスに乗り、帰りだけタクシーを使うことに決めて、ツマと向かう。なんども走ったこともあるため土地勘があったが、日がとっぷり暮れ、明かりもまばら。案の定ツマがぶーたれるが、こちらは聞く耳なし。
店内はすべて畳敷きで、窓の先は手入れされた庭が広がっており、明るい時間であれば、目が和んだことだろう。料理はすべて一流で、手の混んだものばかり。土鍋で食べた人参ごはんも旨かった。都内で食べたら料理だけで1万5千円はいくだろうが、青葉区値段でかなりリーズナブル。ただし、遠い。遠過ぎる。また行きたいんだけどなぁ。
22年12月23日(金) 水道橋で妙なつけめんを食べる
快晴8℃。風が冷たーい。
昼前、お茶の水で取材1時間半。初めて聞く業界話がユニーク過ぎて、頭が追いつかない。つくづく自分が年をとったと感じ入る。その後、久しぶりに神保町をぶらつき、古本を3冊購入する。水道橋まで歩き、少し時間が早かったが夕食を済ませておこうとラーメン屋へ。肉も魚も使わない、野菜オンリーの漬け汁で食べるつけ麺を食べる。だれもお客さんがいなかったことをいいことに、店主と少し話をする。15種類野菜を煮込んで作ったスープ派想像以上に濃厚。年寄にはうれしいという話をしたら、喜んでもらえた。
その後、寄り道せずに帰宅。さっそくテープ起こしにかかるが、手間ばかりかかって4時間かけて30分も終わらせることができなかった。うー、くっそー。年末だというのに。
22年12月20日(火) 荒木町にご挨拶しに向かう
快晴、10℃。
夕方、体のメンテナンスのため代々木上原へ。他の患者さんと副院長の会話をカーテン越しに聞いていると、昨夜のサッカーワールド杯決勝の話。その方、こちらよりかなり年上の男性で、たしかリタイアされて、毎回趣味の競馬の話で盛り上がるのだが、今日は特別。リアルタイムで見ていたらしく、いたく興奮されていた。前半だけで2:0でアルゼンチン。後半フランスが追いつく。延長後半の早々にメッシが決め、これで終わりかと思ったら、終了間際にエムバペがPKを決めて、PK戦に。フランスが2本外したのに対してアルゼンチンが全て決めて優勝した。あれだけすごい試合をこの先見られるのだろうか。終わったばかりなのに、もう待ち遠しく感じられる。
その後、箱根そばで腹を膨らませてから四谷荒木町へ。馴染みのバーに年末のご挨拶がてらに顔を出す。口開けでどなたもおらず、ママのY子さんとNHKでやっていたYOSHIKIの特番を1時間半見る。2人ともYOSHIKIの素晴らしさがよく分からず、思い入れたっぷりのナレーションに苦笑いしてしまう。
次のお客さんがお見えにならず、今週クリニックに行く予定だというのに酒量が進んでしまった。が、年末の挨拶がしっかりできたのはよかった、
22年12月9日(金) 大船でさまよう
曇って13℃。冬ざれてます。
デザイナーの友人と3年ぶりに会うため、6時に大船で待ち合わせ。が、仕事で至急チェックしたい資料があり、近所の図書館の在庫を確認したものの該当なく、午後3時、新大久保の新宿区立図書館へ向かう。新宿からバスで12、13分くらい。ここが新宿区では一番大きいそうだが、ずいぶんこじんまりとしていて、失礼ながら町田市立図書館の方が大きく見みえた。探していた資料はすぐに見つかったが、期待していた内容ではなく、がっかり。自費で購入しなくてよかった。大急ぎで新宿に戻ろうとするが、バスの本数は少なく、かつ夕方ラッシュにぶつかり、20分以上もかかって伊勢丹前に到着、そこから早歩きして新宿駅へ。そこから山手線で渋谷、東横線で横浜、東海道本線で大船を目指す。ふー。
が、ここで気になることが発生。図書館の場所探しにスマホを使い過ぎて、バッテリーが減っている。うー、残り20%で初めての街の初めての店まで辿り着けるか。最悪のことを考えて店の電話番号と住所、だいたいの地図をノートに書き写してから店探しスタート。コンビニのおにいさんに目印となる牛丼屋の場所を確認、当該住所に辿り着くもその一角が大きな飲食店ビルで、入り口が数ヶ所あり、店も数十軒。焦りまくって八百屋のおにいさんに訊ねてやーっと店に入ることができた。ふー、あぶねー。
友人は鎌倉住まい。古民家をリノベーションし、工房兼自宅、かつ建築家のアドバイスで2室をアパートにし、貸している。頭がいい。優秀なデザイナーであるが、本業のお声はかからず、金継ぎの仕事がメインになっている。3年ぶりの再会で話したいことは山とあった。仕事のこと、共通の知人のこと、鎌倉住まいがけっこう面倒くさいこと。最後は小説を書くようにハッパをかけられてしまった。地元の海で釣った魚に箸を延ばしながら、気付けば日本酒を4合も飲んでしまい、二人ともへべれけ。なんとか大船の駅で分かれたものの、そこからの記憶が怪しい。藤沢で乗り換え、相模大野で乗り換え、なんとか鶴川に辿り着き、歩いて帰宅したらしく、気付けばベッドに寝ていた。我が帰趨本能のなんと素晴らしいことよ。
それにしても、の活躍に刺激が受けられて、うれしい一日だった。頑張らないとな、いろいろと。
22年12月2日(金) 日本、スペイン無敵艦隊を破ってしまう
曇って13℃。
本日、サッカーW杯スペイン戦。目覚ましをセットして寝たのが1時過ぎだったが、試合開始の15分前の3時45分に目が覚め、そのままテレビ観戦する。ドイツ戦と同じように前半早々にゴールを決められ、あまり攻め込むこともなかった。スペインは強いのかもしれないけれど、パス回しばかりで、危険な感じもしない。パッとしないなぁと思っていたら、後半から様変わりした。前田がGKに迫り、三苫がDFを追い回す。たまわずバックパスしたGKになおも前田がプレッシャーをかけ、今度はDF目がけて蹴り出すが、伊藤がアタック。こぼれたボールを堂安が目が覚めるようなシュートを決めた。うひょー。その3分後、再び堂安がゴール前を横一文字にパス。前田は足が届かなかったが、三苫がギリギリのところで切り返し、ゴールに迫っていた田中碧が決めた。ボールがラインを割ったかのように見えたが、VAR で長いことかかって確認し、ゴールが認められた。その後、スペインが怒濤の反撃を見せるが、粘り強く守りに徹し、とうとう勝ってしまった。信じられないことがテレビの向こうで起きてしまった。朝早く起きて、本当によかった。
裏でやっていたコスタリカ、ドイツ戦は点の取りあいで、一時期はコスタリカがリード。このままではスペインとドイツがグループリーグを脱落してしまうかもしれない。最終的にはドイツが4対2で勝ったものの、日本に負けたことが響いて勝ち点は4点どまり。得失点差でスペインに及ばず。日本が死のグループをトップ通過してしまった。サッカーにはこんなことが起ころうとは。はー、なんという幸せ。日本代表に感謝しなくては。気持ちよく二度寝できた。
再び起きてからは、夜中まで仕事。夜10時過ぎまで耐えたが、そこが限界で、酒を少し飲んだらえらく酔っぱらってしまった。こんな日もある。それにして日本代表、キミたちは本当にすごい!
22年11月26日(土) 久しぶりにイタリアンに満足する
にわか雨、17℃。
夕方まで仕事バタバタ。なんとか今日予定していた分の原稿を書き上げ、新百合ヶ丘へ。前から気になっていたイタリアンレストランに行く。が、電気が灯っているはずの店内に明かりがない。はて、これはどうしたものか。いろいろ探しているうちに、違う店を予約したのに気付かなかったのか。何はともあれ連絡すると、入り口が2カ所あり2階に面しているところはディナーは開けてないとのことで安堵する。100m回り道して無事到着。
見た目は高級感があるが、メニューはコースのディナーは3000円台からあり、しかも入店後に選べるとのことで、こちらとしてはうれしい限り。明るいシェフが何かと心遣いしてくれ、また、笑わせてくれ、楽しい気分で食事が味わえた。特にパスタは牡蠣のクリームソースの完成度が高かった。選んでもらったワインとの相性もよく、素晴らしい。調子に乗ってグラッパを飲むと、これがまだケーキと良く合い、堪能できた。
スタートが早かったが、グラッパが効いて地元に帰還。自宅で飲み直そうと思っていたが、あっという間に眠ってしまったもよう。なんと、シンプルな一日だったことよ。
22年11月23日(水) カタールW杯、日本がドイツに勝ってしまう
雨降って15℃。
本日、サッカーカタールW杯、日本代表がドイツとの第一戦に臨む。店を休んだツマと夜10時のキックオフを待つことに。
前半はドイツに怯えているような試合運び、まったくつまらない。ロシア大会から4年半、今回の日本代表はタレント揃いだが、ボールがつながらず、攻め方を忘れたかのよう。かといってドイツも上手いとはいえ、最後が決めきれない。なんか非常につまらない。権田のミスでPKをもらい、嘆息。前半終了間際にも1点追加された……と思ったら、VARでオフサイドと判明。命拾いをする。
後半戦、久保に代わって富安を投入。システムを3バックにすると、別チームに変身。急に躍動しはじめ、前線にパスが通る。ドイツ、PKを決めたギュンドアンとベテランを2人下げる。すると15分過ぎ、今度は日本が堂安、南野、浅野を投入し、かつて見たことがないほどの超攻撃のフォーメーションに。そこから攻める、攻める、小気味よいほど攻める。左サイドから三苫がドリブルで切り込み、ゴール前に詰めた南野にパス、相手GKノイアーが弾いたボールを最後は堂安が決めた。同点! 気持ちいい! それからも攻め続け、今度は板倉からのロングボールを浅野がスーパートラップで受け、ニアの角度がないところに蹴り込み、2点目。日本代表が逆転したのはW杯出場6回目にして初めてかも。素晴らしい! 思わず高血圧の我が身も省みず、テレビの前で叫んでしまう。最後までハラハラの展開だったが、なんとか防戦し、歴史的な勝利となる。
日本がW杯本番で、これほどのジャイアンキリングをやるとは信じられない。夢のようである。興奮さめやらず、試合終了後も録画した繰り返し得点シーンを見て、悦に入る。今年一番興奮したかもしれない。早くも3日後には第2戦のコスタリカ戦。がんばれ、日本。
22年11月21日(月) 医者の忠告を受け入れる
曇り後、雨が降った模様。17℃。
午後、長く通っているクリニックで診断を受け、薬をもらう。このところ、ずっと問題なく、医師にも褒めてもらうことが多かったが、血圧がいつになく高い。で、血圧手帳というものをもらい、次回持って来るようにとのこと。このところジョギングができなかったことに加え、酒量も度を過ぎていたことがあるのかもしれない。まあ、しょうがない。忠告を受け入れることにする。
その足で代々木上原に寄り、体のメンテナンス。背中のコリがほぐれて、体が軽くなる。帰りに夕食をどうしようか迷ったが、仕事が予定より遅れ気味だったため、蕎麦を食べて帰宅する。汁は飲まなかったが、自宅で何かをこさえて食べた方が血圧に響かなかったかもしれないと、電車に揺られながら考える。まー、しゃーない。
22年11月15日(火) 5回目のワクチン接種を打つ
冷たい雨が降って14℃。
昼前、ワクチン接種のため、川崎へ向かう。羽田から飛行機に乗るのに乗り換えで来ることはあったが、降りるのは人生4回目か。スマホを頼りに会場へ向かう。待ち時間ゼロで、さくさく打ってもらい、寄り道しようかとチラッと思ったが、コンクリートだらけの駅の近くでは気持ちが萎え、電車に乗って帰宅する。
終息を迎える日がいつなのか判らないが、まあ、ひとまず安心。これで年末年始をストレスなく過ごせるので、良しとする。
22年11月12日(土) 薬師池公園で紅葉狩りをする
快晴、ぽかぽか21℃。
昼過ぎ、ジョギング、小一時間。夕方、あんまり天気が良かったし、紅葉が見ごろだったので、近所の薬師池公園へ向かう。神奈川中央交通のホームページで時刻を確認したというのに、なぜか3分前に出てしまい、次は30分後…。日暮れには時間があったが、ヒマを潰すのにも中途半端で、タクシーに乗ることにする(贅沢!)。
初めて行った薬師池公園は想像以上に大きく、きれいに整備されていた。水面に映る色とりどりの紅葉も美しく、目が洗われる。散策している人たちは多かったが、常識的な人ばかりで、それもまた気持ちがよかった。自宅があるエリアから移築された藁葺き屋根の古民家も素晴らしいもので、見入ってしまった。
公園から鎌倉街道に出ると、すぐ通りに広大な敷地の四季彩の杜という多目的施設があり、どんなもんだべと寄ってみる。と、カフェやら、レストランやら、野菜の直売施設やら、図書館やら、バーベキュースペースが集まっており、まー、おしゃれ。町田市内にこんな気持ちのよいスペースがあったとは知らなかった。
バスを待つこと20分。すっかり体が冷えてしまい、風邪を引きそうになる。ネットでいい感じの蕎麦屋を見つけて目指すつもりだったが、路線が違ったため、終着の町田まで着いてしまい、駅近で飲み屋に入ることに。ツマは目の手術から日が浅かったのでノンアルコールビールがある店を探したが、2軒に振られ、3軒目でやっと入ることができた。ごま鯖丼、旨いことは旨かったが、隣でノンアルコールビールを飲まれているとこちらのペースも上がらない。1時間足らずで店を出る。
22年11月11日(金) 町中華で自らをねぎらう
快晴21℃。いい天気が続きすぎるほど。
慌ただしい1週間。取材1本、原稿アップ3本で冷や冷やもののスケジュールだった。その2本目の原稿をディレートしていたことを朝気付き、血の気が引いた。難度はそれほどでもなく、文章量も少なかったので悲惨な事態は避けられたが、その煽りを喰って3本目の原稿の推敲にかけるつもりの時間が減ってしまった。なんとか夕方前に送ったものの、いつになく校正漏れが多いことをディレクター氏に指摘される。あー、恥ずかしいこと。
原稿を送った後、少しだけ近所を走り、汗を流してからこのところ気に入っている地元の町中華まで自転車で出かける。いつものように先客がなく、奥さんと世間話、ご近所話をしながら回鍋肉、餃子で酒を飲む。店を開いて今年で51年。御主人は79歳と伺い、恐れ入ってしまう。半世紀近く前の学生運動激しき時代の話、道を挟んで目の前の造成地が台風で崩れた話、五月みどりや都はるみの演歌の素晴らしさなど、この街にあるほかの店では聞けない話で、実に愉快。飲み過ぎないうちに家路につく。
安上がりだが、これで十分至福。来週も頑張らなくては。
22年11月8日(火) 皆既月食を見上げる
快晴22℃。
朝イチから昨日取材したテープ起こし。午後、休む間もなく別件の案件に取りかかる。懐かしいほどの忙しさにただただ追われ、無心に原稿を書くのみ。夜、皆既月食と天王星食があることを思い出し、マンションの外に出ると、同じように空を見上げている人たちがチラホラ。目の調子がよくないが、それでも肉眼で月が隠れる様子が見えた。
ウクライナでは今夜の月をどういう気持ちで眺めているのだろう。戦争のない国に暮らせるありがたさよ。
22年11月5日(土) 表参道で心を洗う
曇って17℃。それでも都心は暑かった。
午後イチ、2日前に走ったのと同じコースでジョギング。途中、3時半に表参道で開かれた友人の作品展に行くと約束したことを思い出す。コースの中間点でこのまま進んでも、引き返しても、自宅に帰る時間は変わらない。まずいと思って、いつになくスピードアップして帰宅し、大慌てでシャワーを浴びて、3時前に外出する。久しぶりの表参道は洗練された服をまとった人々で溢れていた。若者も年配の人々もセンスがよく、着こなしが美しい。見ていて心が豊かになる。表参道はこうではなくてはいけない。
友人の展示会は漆器、古道具、金継の三人による作品展で、見るものすべてが一流品である。使い勝手のよさそうな角盆があったが、それを買えば、ツマに何を言われるか想像がつく。友人の金継も素晴らしい出来。五十の手習いで始めたが、15年の研さんを経て今はファンも多い。頭が下がる。少し挨拶をして帰ろうかと思ったが、次から次へとお客様が途切れず、30分以上待ったがタイミングが合わない。失礼を承知で諦めて帰る。
代々木上原でマッサージ40分。6時、祖師谷大蔵の和食屋でツマと合流する。ネットで見つけた店だが、小奇麗で、味、盛りつけ、器が見事。特に野菜の葛餡が見事。舌がとろけてしまうほど。料金も割安で、ラッキーである。また来よう。
その足で何度か行ったことがあるおでん屋で小一時間飲み直し、帰宅。ジョギング、マッサージに酒が加わって、帰宅早々に酔いつぶれる。
22年11月3日(祝) 文化と無縁の一日をすごす
快晴24℃。11月だというのにねぇ。
このところ仕事がバタつき、あまり走ってなかったが、やっと山を越える。で、日中、天気がやたら良かったので、こどもの国通りから玉川学園前に抜けて鶴川までざっと10キロを走ることにした。TBS緑山スタジオ脇の坂道はケヤキの葉が落ち、ステップを踏むたび、ザザザ、ザザザとやかましいほど。上り坂は軽快に、下り坂は調子に乗らないようにゆっくりと。いつか一度も足を止めずに走れたらと思うが、できた試しがない。大汗をかいて帰宅。
夕方から仕事を再開。で、夜になって気がついた。今日は文化の日だけど、なーんにも文化的なことをしていない!