25年9月30日(火) 携帯のキャリアを変える
曇って28℃。
スマホは長くauを使っていたのだが、この1年ほどなぜかアンテナの感度が下がり、電話がつながりにくくて困っていた。加えて料金が機種代金込みだったとしてもバカ高で、ひどい時はUQ時代より8千円も高い月もあった。これはダメだと残りの機種代金を一括で払い、キャリアをDocomo系列のAhamoに変えた。事務手数料がかかるが、その次からは3千円を切ることになっている。
地元にauショップがあったので手続きはサクサク進んだが、Ahamoはオンライン簡潔のためいろいろ勝手が違い、初めて聞く用語もあって、携帯がつながらず焦った。が、ようやく夜中に原因を突き止め安堵する。さらばau。長いつきあいだったが、もう使うこともないだろう
25年9月25日(木) 氷河期展を見に行く
晴れのち曇り、28℃。
仕事がやっと片づき、時間ができたので、上野の国立科学博物館まで「氷河期展」を見に行く。チケットを買ったのは8月の初めで、そのころクソ暑い日が続いており、気持ちだけでも涼しさを感じられたらと思ったのだが、いい意味で期待は外された。展示内容のメインは氷河期だった4万年前になぜネアンデルタール人が絶滅し、クロマニョン人=ホモ・サピエンスが生き延びたのかというもの。人骨から精巧に再現された等身大のネアンデルタール人は南欧の田舎町にいそうなずんぐりむっくりのオッサン姿で、対するクロマニョン人は現代人そのもの。興味深い展示品が多かったが、特に瞠目したのが、クロマニョン人が動物の腱を削って作った針だった。そこに植物の糸を通し、なめした革を縫って服にしていたとのことで、原理は今の縫製と何も変わらない。
ところで地球は10万年サイクルで氷河期を迎えるが、その理由は地球が太陽の周りを楕円軌道で廻っていること、地球が23.5°傾いていること、回転軸がゆっくり方向を変えている、いわゆるミランコビッチ・サイクルにある。今は間氷期が始まって1万1千年ほどでこれまでのパターンだと数千年から2万年後に次の氷河期に向かうところが、人間どもが排出した温室効果ガスのせいで大幅に遅れると考えられているとか。そこまで人類は罪深いことをしているのかと、暗澹となる。
そうそうネアンデルタール人が絶滅した理由は、寒冷化で食料不足だったこと、ホモ・サピエンスとの競合に負けたこと、集団が小さく遺伝的に脆弱だったことが考えられている。ホモ・サピエンスは大人数で暮らし、情報を共有し、狩りをするときに協力していたとか。いろいろ考えさせる科学展だった。
25年9月16日(火) 歯をメンテナンスしてもらって、顎が痛くなる
晴れて33℃。日差しが痛い。
昼前、3ヶ月ぶりに歯医者へ。この間から被せものが浮いていたのと、インプラントの様子チェックを受け、ついでにクリーニングをしてもらう。50分ずーっと口を開けっぱなし。顎が痛くなる。で、治療費が8000円近くもかかってしまった。うー。で、また4ヶ月後に来てくださいと言われてしまう。なんだかな。
それにしても暑いこと、暑いこと。すっかり夏には飽きました。
25年9月11日(木) ゲリラ豪雨に身が竦む
晴れのち曇りのち豪雨。34℃。
午後、都内中央区で取材。天気予報はゲリラ豪雨に気をつけろということだったが、なんとか雨が降り出す前にクライアントビルに入る。と、ほどなくぽつりぽつりと降り始めたと思ったら、豪雨である。20階くらいのフロアにいたのだが、雨足で一瞬声が聞き取れないほど。先方都合で取材は1時間で切り上げたのだが、明らかに消化不十分。クライアントが言いたい論旨とインタビュアー氏の話が噛みあっていない。先方から来ていた資料があるとのことで、それである程度埋め合わせるとしても、気掛かりである。
取材後1時間ほども豪雨が続き、ビルから出られない。ずっとカンカン照りが続いていて、東京も水不足が心配されていたから雨はうれしいが、これほどの嵐になるとは。 少し雨足が弱まってきたので4時に電車に乗り、日比谷で買い物をして帰宅する。
テレビを点けたら、目黒区、大田区がすごいことになっていた。自由が丘から緑ケ丘にかけてもともと小川が流れていたところを暗渠にした並木道があり、その通り沿いにおしゃれな店が並んでいる。その中のメガネ屋とかゴルフ練習場、居酒屋、英会話教室が水没とのこと。うーん。残念。人の被害が出ないだけでもよかったと思うしかない。
あ。そうそう、本日は「9.11」でした。
25年9月6日(土) 期待していなかった中華に満足する
晴れて32℃。夕方は少し涼しくなってきました。
夕方になる前に代々木上原でマッサージ。カチンカチンの体をほぐしてもらう。腕と腰を揉めると、条件反射のように「ウッ」と唸り声を上げてしまうのである。
その帰り、祖師谷大蔵の中華料理屋でツマと待ち合わせ。いつも行っている店より、中国人家族がやっている町中華っぽい店に入る。大陸風だけど、上海っぽい味。満足度は中の上で、これは次があると思い、焼酎をボトルキープする。最後に麺を食べようということで、あんかけ堅焼きそばを注文。ツマに妥協して頼んだが、食べても食べても減らず、腹が空しく膨らんだ。それまで食べた料理の感動が消えてしもーた。
25年8月29日(金) 東京駅でうどんを食べる
晴れて35℃。怒る気にもならないほどの暑さよ。
昼、取材のため東京駅へ。八重洲口の地下街は、容赦ない日差しを避けたい観光客でごった返していた。冷房が効いていたが、人ごみが息苦しくて地上へ。日除け傘を差し、八重洲中通りを歩くこと数分。汗が噴き出す前にクライアントが入る高層ビルに到着。
取材1時間30分。だれもが知る名門企業の社長だというのに、おごる素振りがなく、聞いていて心地よい。言葉に無駄になく、内容がすとんと腑に落ちる。いつもより提出までの期日に余裕がないのだが、仕事はささっと進みそうな予感がする。
帰りに再び八重洲口地下街へ。ラーメンを食べようとしたのだが、どこも行列が出来ていた。やむなく空いていた讃岐うどん屋に入ることに。ラーメン屋はぎゅうぎゅう詰めだが、こちらは席が離れ、天井も高く、リラックスできた。アラブ系の店員さん、流暢な対応で、うどんもそこそこ美味かった。
夕方帰宅。駅からの12分を歩いただけで大汗をかいてしまい、シャワーを浴びる。さあ、今日は夜中まで仕事をしなければ。
25年8月22日(金) 天ぷら屋とイタリアンで酒を飲む
晴れて35℃。げんなり。
仕事を早めに片づけ、夕方、藤沢へ。鎌倉に住む友人と、2年ぶりに再会する。指定された天ぷら屋は市内で一番古く、一番評判のいい店で、かつ彼の行きつけである。待ち合わせた6時に店に到着。カウンターと小上がりの席はすでに8割が埋まっており、30〜40代から70代までが楽しそうに飲み食いをしていた。実によい雰囲気である。
友人は金継ぎ師の傍ら、小さいながらもアパートの大家さんでもある。日中3時間仕事に集中すると、それ以上はくたびれ、あとは自分ために料理をこしらえて晩酌を楽しんでいるという。なんと、まあ、うらやましい。一時期原因が分からず体重がずいぶん落ちて心配したが、昔と何か心がけたり、治療したのではないが、体調を回復したとのことで、安心した。元デザイナーで自分の作品を収めた冊子を3冊いただく。これ以上の引き算が出来ぬほど装飾が削り取られたデザインで、見ているだけで身が引き締まる。
天ぷらの種はどれもこれもおいしかったのだが、揚げるペースが速く、ずっと口を動かさなければならない。まあ、そこを差し引いても、実に美味い。申し分がない。天ぷら屋で酒を飲む習慣はなかったが、これはいい。二軒目、ワインで口直しをしましょうと、今度はこちらの行きつけのイタリアンに。前菜の盛り合わせと、白ワインだけ頼み、デザイン論なんぞで盛り上がる。それにしても今日はたらふく食べました。
25年8月15日(金) 終戦記念日に肩を揉んでもらう
晴れて33℃。
夕方3週間ぶりにマッサージを受けに代々木上原へ。このところ仕事が途切れずにいたが、順調に片づいているせいか肩、背中のコリはそれほどでもない。まあ、腕を揉まれると、いつものようにうなり声が出てしまったが。体がだいぶ楽になる。
今日は終戦記念日。父親はこの日満州にいて、軍が解散させられる前に銃についた菊の紋章をやすりで削らされたという。まだ22歳。それから3年間シベリアで収容所生活を送ることになるのだが、子どものころに父親を亡くし、貧しい暮らしをしていたから、シベリアの寒さもそれほど厳しくなかったとか。なんとまぁ、貧乏のありがたいこと。
25年8月11日(月) 雨の音を聞きながら、原稿を書く
曇りときどき雨。29度。
昨日、今日と雨。最高気温がほぼ1カ月ぶりに30度を切り、助かる。庭の草木も息を吹き返す。雨が盛んに降る中、明日提出の原稿書きもはかどり、じっくり推敲ができた。なんてことはないが、こういうので十分幸せ。残る仕事はあと1本。がんばらなくては。
25年8月7日(木) カラオケ屋で仕事をする
曇りときどき晴れ。32度。
9時からの開かれる代理店のZoom会議に出席するため、浜松町に8時半到着。最近はこのパターンが多いなぁ。
冷房が効きすぎた氷のような会議室で1時間半話を聞く。資料と事前回答をいただいていたこともあり、スムーズにこなす。書面では仕事の意義をやや肩ひじはった文言で書かれていたが、詳しく尋ねるとクライアントに恵まれ、たしかな成果につながった仕事ができたことがことらにも伝わり、幸せな気分をお裾分けしてもらう。神田に移動し、ラーメン屋でランチ。次の取材予定が15時からのため、帰宅するには中途半端。カラオケ屋のリモートワークセット3時間コースを利用することにし、1人用の部屋でPC作業。1500円でこんな便利なところがあるとは! 非常にありがたい。ちなみに、カラオケ屋さんの他のブースは結構な割合で埋まっていた模様。もちろん歌うことが目的でお客がやってくるわけだが、真っ昼間からカラオケ需要があるとは。これも目からウロコが落ちた。
15時からクライアントと打ち合わせ。こちらは2度目の取材のため、話が頭に入りやすい。1時間半で取材終了。そそくさと帰宅する。シャワーを浴びて、テープ起こしを夜中まで。
25年7月24日(木) 朝イチ会議で朝まみれになる
晴れて34℃。
都心のクライアントで9時からの打ち合わせのため、6時起き。7時台の電車はまだ7割の混み方で、つり革を握りながらだが、本が読めた。寝不足は嫌だけと、ラッシュ前の電車は気持ちがいい。電車を乗り継ぎ、1時間で到着。とあるPR誌の最終原稿チェックが終わる。デザイナーや印刷管理はまだ仕事があるが、当方はここまで。あー、長かった。本当に長かった。帰りに地元の駅近くの居酒屋でランチを食べる。オープンして日が浅く、町にはなかったタイプの店ということもあるだろうが、若い客が多いことに驚く。
帰宅して体にまとわりついた汗をシャワーで洗い落とし、午後の仕事にとりかかった。
25年7月17日(木) 梅雨明けはまだか
4日続けての曇り一時雨。どうでもいいけど、梅雨明け宣言はまだですか。
髪を切りたくて馴染みの美容室に先週連絡を入れると、ずっと空きがないと言われ、今日の18時になってしまった。仕事がなかなか終わらず、遊ぶ余裕なし。大急ぎで帰宅し、夜中まで仕事。背中の凝りが尋常ではなくなってきた。
25年7月7日(月) サラリーマンの苦労を思い出す
晴れて35℃。
久しぶりに朝8時台の満員電車で都心へ。少し走っただけなのに、大汗をかく。出かけにシャワーを浴びたのに、台無しだ。日傘、扇子を持って来るのを忘れたことを深く後悔する。
10時から2時間半、広報誌特集ページを中心にみっちり打ち合わせ。重箱の隅をつつくような細かいチェックに辟易とする。とある事象の歴史的背景をちらっと触れただけなのに、「この文章の根拠は?」とやられると、報告書を書いている気分になる。冷房が効いた部屋にずっといたせいで、体の芯まで冷え冷え。煮干しのたっぷり入った青森ラーメンを食べて、ひと心地つく。
帰宅し、シャワーを浴びて気分一新。夜中まで原稿書き。あー、しんどいなぁー。
25年6月30日(月) クリニック帰りの町中華が楽しい
晴れて31℃。
夕方、前住んでいた町のクリニックまで血圧の薬をもらいにいく。80数歳の院長先生はこのところずっとお休みで、息子さんか、アルバイトの先生が担当している。足掛け20年以上通っている言わばかかりつけ医で、こちらの体調は管理してもらってはいるが、そろそろお医者の替え時かもしれない。
その帰りに30数年通っている町中華へ。おそらく300回以上は食べている肉野菜炒め半ライスを注文する。ここで画面の小さなテレビでニュースを見ながら食べる定食の、至福の美味さよ。まだまだ忙しい日々は続くが、なんとかがんばらなくては。
25年6月22日(日) 町田でイタリアンを食べる
晴れて33℃。
3日遅れの結婚記念日を祝うため、6時前、イタリアンレストランがある町田へ向かう。開店して何年も経っていないそうだが、評判はなかなかよろしい。あまりボリュームが多くなく、値段もそこそこ。ここなら外れても悔しくないだろうと決めたのだが、まあまあうまかった。特に岩手牛のランプステーキ、味付けが上品。肉を食べている充実感があった。ついついワインを飲んでしまい、お勘定はそれなりになってしまった。
仕事はこの1週間を抜ければ、ひと心地つける。頑張らなくちゃ。
25年6月17日(火) こめかみをぐりぐりやられる
快晴、34℃。この夏一番の暑さとのこと。
まだ頭の痛みが時折ぶり返すが、顔の腫れは徐々引いて元通りになった。本格的に帯状疱疹になる前に対処したのが、良かったのだろう。仕事先には迷惑をかけたが、個人的には安堵する。
夕方、マッサージを受けに代々木上原へ。この間のことを院長に話すと、「それはよかった」と言いつつ、目の凝りを取るため、こめかみをぐりぐりと。人の話を聞いていなかったのかと、怒鳴りたくなった。帯状疱疹のせいか、マッサージのせいか分からないが、また頭が痛くなった。
25年6月13日(金) 頭の痛みに耐えかね、仕事を断る
曇り後、晴れて26℃。
朝イチで鏡を見ると、かめかみ周辺が大きく腫れ、メガネのフレームに迫っていた。頭も痛いが、薬でごまかす。午後、南武線、武蔵野線と乗り継ぎ、某駅で1時間取材。なんとかこなしたが、痛みが激しく、薬を飲まずにいられない。その前に腹になにか入れなくてはと思い、乗り換えの府中本町で蕎麦をすする。家にたどり着き、薬のおかげで頭痛はやや治まったが、腫れはひかず、ゆがんだ自分の顔が他人様に見えた。
帯状疱疹は高齢者がかかりやすく、若くても過労が続くと出やすいとのこと。この2カ月、まともに休んでいなかったから、そのせいかもしれない。実は先週末、長く仕事をいただいている代理店から新規案件が入って受けたのだが、このままでは絶対に支障が出てしまう。事情を話してお断りする。
25年6月12日(木) 帯状疱疹らしきものに罹る
曇り後、晴れて27℃。
2日前からこめかみの当たりがチクチク痛痒かったのだが、今朝鏡を見ると赤く晴れていた。腫れも出ている。皮膚科に行く用事にあったので、先生に診てもらうと、帯状疱疹かもしれないと。(美人の先生に至近距離で顔を見られ、少しときめく)で、少し膨れた患部を針で吸い、調べてもらったが結果は陰性とのことだった。安堵したものの、そうこうしているうちに頭が痛くなってきた。とりあえず軟膏と炎症を抑える薬を出してもらったが、「念のため耳鼻科でも診てもらってください」と言われてしまう。
地元に帰り、クリニックに診てもらうことにしたのだが、まー、待たせる、待たせる。予約したというのに、受付から診察まで2時間かかった。あまりに順番が進まないので、途中ファミレスでゆったり夕食を食べたが、それでも待たされてしまった。院長いわく、帯状疱疹の初期は検査しても反応が出ないことがあるとのこと。原因は特定できないが、炎症止めを出された。とにかくこの1週間は体を休めるようにと言われてしまう。自分としてもそうしたいが、仕事が途切れず、どうしたものか。
その後頭痛と腫れがひどくなる。ひどく不快。
25年6月3日(火) 藤沢の居酒屋で頭を休める
雨降って、21℃。寒いほど。
この1週間で4日目の雨空である。梅雨入りは先だが、気分が前向きにならないのは困ったものだ。淡々と原稿を書く。終わりなき仕事の鬱陶しさよ。
25年5月24日(土) 秋田中央交通、ChatGTPにもの申す
秋田は曇りのち小雨。19℃。
昨日、今日と秋田にて撮影ディレクション。朝イチの飛行機に乗るため4時半起きをしたが、次は自腹で前泊しよう。体がついていきません。
昨日は晴れ間が少し覗いたので、予定していたカットをすべて撮り終えた。本日は少し余裕があったので、観光名所をまわることができた。鳥海山、元滝伏流水はスマホの待ち受け画面にしたいほどきれいだった。
夕方4時、仕事終了。飛行機の時間まで3時間以上あるため、レンタカーの返却場所を空港から駅に変更し、リムジンバスの発車場所近くでビールでも飲もうということになったが、まぁ、遠いこと、遠いこと。加えて秋田交通だったか、ホームページが昔のままで予約もできず、地図も小さく、わかりにくい。でもまぁ、ようやく見つけて5時開店の飲み屋に入る。と、女の子の制服がサパークラブのように艶やか。で、出てくるのが地元料理。その落差がたまらない。1時間半の滞在でけっこう酔っぱらう。
で、リムジンバスの発車時間に合わせてバス停に行くと、時刻表の時間がホームページと違っていて、すでにバスが出た後。結局、タクシー代ほぼ9000円を払うはめになった。ちなみにChatGTPに料金を尋ねたら、5000〜6000円と答えたので、ま、いいかと思ったのだが、ぜーんぜん違うではないか。秋田交中央通、ChatGTP、どうしてくれる!
25年5月21日(水) 湾岸エリアに戸惑う
曇って28℃。蒸しあっつい。
朝イチで、東京を横切り、湾岸エリアにて取材。来たのは、10年ぶりぐらいか。地上に出ると四方に高層ビルが聳え、方向感覚を失いそう。幸い目指す方向に大きな橋が目印のようにかかっているため、迷うことがなかった。くわばら、くわばら。
取材に引き受けていただいたのは、誰もが知る大型交渉をまとめてきた元官僚。頭がいいというか、人柄がいいと言うか、こういう方が国益を守っていたのかと思うと感慨深いものがあった。ここには書けない貴重な話が聞けて、ライター冥利に尽きる。銀座で昼飯を食べて帰ろうと思っていたのだが、財布を忘れていたことに気づき、空腹を抱えて引き返す。
25年 5月 9日(金) 空しく餃子を食べる
曇り、22℃。
午後、クライアントの社長取材のため、南武線某駅へ。半年前までは納品に四苦八苦していたが、第二次トランプ政権がスタートして以来、今度は関税問題に振り回され、業績は急降下した。しかし、なんども外部環境に直撃され、そのつど危機を乗り切ってきた社長は腹が据わっている。立派な方だなと思う。その帰りに海老名のクリニックへ寄り、薬をもらって帰る。
金曜日の夕方、急ぎの仕事もないので地元の町中華でビールを飲む。餃子が売りの店なのに、肝心要の餃子がイマイチ。選択肢が少ない町に暮らす悲哀を噛みしめる。
25年 5月 5日(祝) 子どもの日に歯医者に行く
晴れ、のち曇り。22℃。
大型連休後半、祝日だというのにかかり付けの歯医者はやっている。昨年末にやったインプラントのチェックが必要とのことで、3カ月前に予約しておいたもの。今のところ不具合がなく、問題なし。体というか、口が人工物を受け入れたもようである。
連休明けに提出しなくてはいけない原稿もほぼでき上がり、気分よし。夕方マッサージを受け、早めに晩酌をして寝てしまったもよう。のんきなとーさん、だな。まったく。
25年4月25日(金) 取材して、マッサージをしてもらって、髪を切って、クリニックに寄る
曇りのち晴れ、15℃。
朝イチ、都心のクライアントで社長取材1時間。長年通っているが、今年ほど充実した話が聞けたのは初めてかもしれない。その足で代々木上原に行き、マッサージを受けたのち、駅ナカで玄米定食を食べる。豚バラ炙り焼きととろ丼1350円、味はヨシとしても、値段が少々高い気がする。その後、梅ヶ丘で髪を切ってもらい、さらに電車で40分ほどのところにある皮膚科クリニックで治療を受ける。
朝から夕方まで、ここまできっちりスケジュールをこなせたのは、ちょっとうれしいかも。本当は虎の子で牡蠣パーティがあったのだが、再び代々木上原まで戻る体力はなく、なくなく諦める。オイスター、カムバック!
25年4月18日(金) 荒木町の昭和の居酒屋で酔っぱらう
ピーカン、24℃。暑すぎるんじゃ。
午後、都内淡路町のクライアントで今秋からスタートするPR誌の打ち合わせ。いろいろリクエストされてしまう。担当のお三方、性格はいいのだけど、まじめで、指摘がなかかな細かい。始めることは始めるが、いつまで続けるか分からない。四捨五入すると古稀になろうとしている人間に、あまり大きな荷物を託されても困ってしまう。プチ鬱なり。
5時に仕事仲間と荒木町の居酒屋で待ち合わせていたが、それまでに2時間ほどある。しょうがないので、喫茶店でPR誌の企画書を直したり、本屋をぶらついてヒマを潰す。5時過ぎに合流する。友人は何度も利用している店が、こちらは初めて。いやー、しぶい、しぶい。演歌をガンガンかけている居酒屋はいつ以来だろう。酒が1種類しかないのと、ビールがサントリーしかないのが残念だが、それ以外は刺し身、煮物、クジラのベーコン、皆うまし。いい店を教わった。大満足。ここはまた来なければ。
なじみのバーで2杯ほどひっかけ、9時過ぎに荒木町を後にする。楽しかったなぁ。
25年4月11日(金) 都心で山菜を買う
曇って20℃。
昼前に山手線某駅で再来週ある取材の打ち合わせ。Zoomでごまかす手はあったが、直接合ったほうがなぜか頭に入りやすいため、リアルに対面していただいたのだが、実りがあった。取材前の杞憂が消えた。面倒だけど、これでよしと。
その帰り、駅前でマルシェが開かれていた。去年も出ていた山形県の山菜の店を見つけて、心がときめいた。コシアブラかタラノメが欲しかったのだが、今年は雪が多かったこともあり、どちらも2週間ほど先にならないと出ないとか。かわりにアマドコロという見たことのない山菜があったので買って帰る(翌日食べたら、ほんのり甘く、アスパラガスのような食感で旨かった)。あー、幸せだこと。
25年4月5日(土) 絶品中華を味わう
晴れ後曇り。17℃。
今週は最高気温が10℃を下回る日が3日あったため、桜の花はまだ楽しめる。
夕方、ツマと二人、小田急線某駅から徒歩1分のところにある本格中華レストランへ。前回訪ねたのが昨年末で、店の掃除をしたあとに寄ったのだが、その時はよだれ鶏と水ギョーザ、八宝菜に感激した。中国人シェフがいる町中華は地元にもあるが、ここは食材も調理も頭2つ、3つ抜けている感じがある。今回は海鮮葱生姜風味、海老スティック春巻きが絶品だった。満足度からすると、かなり割安である。
それにしても老夫婦2人ではあまり、いろんなものが食べられないのが残念。まだまだ食べたいものがいっぱいあるのに。次回は誰かを誘おうか、策を練らなくては。