4月2日(日) 13キロも歩いてしまう

 寒い日が続いていたけど、ようやく晴れて14 ℃。

 先月21日に桜が開花宣言が出されたが、その後、寒い日が続いた。本日は待望の晴れ。犬のようにうれしくなって、9時過ぎ、玉川水道跡の緑道を初台から東北沢まで散歩する(本当は走りたかったのだが、なぜかランニング用のロングパンツが見つからず、散歩になってしまった)。桜は3分咲きだったが、木の下では花見をするグループがチラホラ。早朝からビールを飲む姿は寒そうだった。距離6キロはまずまず。うっすら汗をかくことができ、気持ちがよかった。

 午後から某ホームページ用の原稿書き。最近は乱視が進み、夜になると目が非常につらい。それでも6時間ほど堪えてまとめ上げ、なんとか送信。クライアントの評価はまずまず出来だったので、ひと安心する。疲れ果てたので9時過ぎ、虎の子へ。お客さんがお帰りになったばかりとのことで、1人カウンターで酒を飲むことに。早めに切り上げようなどとツマが言った矢先に、このごろよく来てくださる女性のお客さんがご来店。他愛のない話で、ぼんやり過ごす。

 ツマが夜桜が見たいと言うもので11時半に店を閉め、お客さんと3人で幡ヶ谷までブラブラ。もともとライトアップされていないから見えないよと釘を刺しておいたが、それでも商店街のライトに照らされ5分咲きの桜が見られた。近所の沖縄料理屋で小一時間過ごし、本日はこれにて解散。気づけば1時近くになっており、終電車がも出てしまった。しょうがないのでまたも歩いて帰宅する。

 スマホを見たら、今日1日で11キロも歩いてしまった。あー、足が痛いことよ。 


4月5日(木) さようなら、加川良さん 

 晴れて21℃。

 自然エネルギー関連の本を終日読書。エネルギー源としての自然エネルギーには克服すべき課題は多く、支払うお金も高くなるが、それでも安心・安全に暮らすためには選ばなくてはいけないことをヒシヒシと感じる。初めて知る事実、新しい視点もあり、興味が尽きない。が、刺激的なものを浴び続けるというのは頭が疲れてしまうもので、読み終えるとぐったりした。

 昨日、フォークシンガーの加川良さんが亡くなったことをニュースで知る。で、夜中は彼の「アウト・オブ・マインド」というアルバムを繰り返し聴いて過ごした。実は加川さんとはお話ししたことがある。自分が20歳のとき、アルバイトをしていた渋谷センター街の居酒屋に田川律さん、もう一人どなたかと3人でいらしたのだ。周りの人は気づかなかったが、こちらは中学生の時から聴いていたので、手が挙がると小躍りして席までオーダーを伺いに行った。「日本酒のお燗を二合徳利で」というものだから、「一合徳利を2本の方が量が多いですよ」と教えると褒められ、ついでに店長に内緒で一合サービスしてあげたら、喜ばれた(そりゃそうだ)。で、最後にお会計してもらうときに、こちらに大きく手を振ってくれたのだ。うれしかったなぁ。39年も前になるけれど、あの夜ははっきり覚えている。加川さんの歌声はくどくて、ねちっこい。男らしいことや、かっこいいことが嫌いで、世の中とうまく付き合えない男や女のことを終生愛情を込めて歌っていた。高田渡さんのような淡々と暮らしのありようを歌う人ではなかったから、ファンも限られていただろうけど、当時の自分はそのクドさが好きだった。

 小説でも映画でも歌でも、当時好きだった作品に改めて触れると自分のことを分かってくれる友人に再会したような優しい気分になる。新作はもう聴けないことは寂しいが、こればかりはしょうがない。遠い昔、幸せな夜をくれた加川さん、ありがとうございました。合掌。
 


4月8日(土) 子供たちのそばでビールを飲む

 春らしい小雨、18℃。
 
 朝イチ、ジョギング。久しぶりなので、努めてゆっくり5キロ走る。ずっと工事をしていた東北沢駅舎は元の踏切近くの囲いが外され、全景が見えた。以前のローカル線のような小さな駅舎が、現代チックだけど愛が感じられない建物に。取り澄ましていて、無国籍で、まったくつまらない。これが街の中心になるかと思うと、お気の毒である。地元が参宮橋で良かった。
 
 午後、2つの新規案件の資料読みを夕方まで。エネルギー会社の方は奥が深く、これだけ頭を入れておけばよしという核心まで到達できぬまま。うーん、難しい。夕方早めにツマと外出し、初台の居酒屋で酒を飲むことに。土日サービスということで、ビールもハイボールも180円! 安すぎて、頭がふらふらする。
 
 奥の団体席では小学校低学年の子供たちと父兄が30人ほども集まり、おつかれさん会のようなものをやっていた。しだいに甲高い声が飛び交い、トイレに行く子がしょっちゅう席の横切る。その隣で酒を飲むというのは、まことに落ち着かない。唐揚げ、ポテトサラダに、ナポリタン(なぜ居酒屋にあるのだ)などを大量に運ばれていくのを横目で見ていたが、なぜ親たちはファミレスに行こうと思わなかったのだろう。まあ、今は酒を注文しない人も居酒屋に来るから、子供も大人も似たようなものか。なんとまあ、夜8時半に帰宅してしまう。夜がなんとも長いことよ。


4月13日(木) 表参道のオフィスで心地よい時間を過ごす

 晴れて17℃。日差しが夏めいてきました。
 
 午後、いい陽気だったので自宅から代々木公園駅まで歩き、そこから地下鉄で表参道へ。根津美術館近くにあるデザイン事務所にて、エネルギー会社の案件の打合せをする。デザイナー氏は机を並べて働いたことはないが、同じ会社の出身で、9つほど後輩になる。2年前のOB会で初めて会ったのだが、誠実そうな話し方が好ましく、今度の話を振ってみた。訪ねたオフィスはすっきり整理され、インテリアや小物の趣味もよろしい。デザイナーはこうでなければ。仕事は始まってもいないが、まあ、この人なら大丈夫だろう。
 
 2時間半ほど滞在。お互いの来歴から始まり、こちらが希望するツールの仕上がりイメージを伝え、彼の反応を聞き、すり合わせをする。なかなかいい感じ。指摘も的確だ。お金という厄介な問題はあるが、それは来週クライアントを訪ねてみたからの話。頭の中にあった一次元のアイデアが、二次元となって広がり、少しずつ三次元になって立ち上がる。久しくなかったクリエイティブの感覚が蘇る。美術館では、昨日から琳派の燕子花図と夏秋渓流図展とか。次の打合せの来るときは早めに来て寄ってみよう。
 
 夜8時すぎ、別件のホームページのテキストについてプロデューサー氏と電話で長話。なんども書き直しをしている原稿について、ご意見を多々いただく。まあ、しょうがない。以後、一昨日取材したテープのリライトを始めたが、最後まで終わらず。
 

 
4月17日(月) 師匠が逝ってしまった

 朝、PCを立ち上げると、長い付き合いのある酒飲みの先輩からメールが入っていた。ツマの師匠のFさんが亡くなったとのこと。2年半前に倒れ、寝たきりになっていることは知っていたので驚きはなかったが、哀しくて寂しい。最後に会ったのが、師匠の店で仲良くさせていただいたデザイナーのSさんのお通夜の斎場で、また別れの春になってしまった。

 師匠は若いときに当時結婚していたご主人と自由が丘で居酒屋を開き、後にケータリングの仕事をしながら料理教室で生徒さんに教えていた。女性雑誌の料理監修や「きょうの料理」を担当していたこともあった。後に自由が丘のはずれにご主人がバーのような構えの居酒屋を開き、それが自分が住んでいた大岡山のアパートへ帰る道すがらだったため、今から30年前から通うようになった。初めはご主人が酒と客あしらいをしていたが、いろいろあって店主がFさんに代わり、店に立つようになった。師匠が作る酒の肴は絶品で、プロも絶賛した。何を食べてもおいしく、酒がスルスルと入り、器も盛り付けも見事だった。後年、ツマがアルバイトとして働くようになるのだが、虎の子の「マル秘豚ロース」「蛸エシャレット」「牡蠣のオイル漬け」は師匠のレシピである。

 Fさんは人の好き嫌いがはっきりした方で、媚びたり、偉ぶったり、無神経の人は男も女も大嫌い。そんなものだから、建築家、デザイナー、店舗デザイナー、イベントプランナー、歯医者、大学教授、編集者、新聞記者といった人たちが夜な夜なカウンターを占めていた。自分たちを歓迎してくれたのも、こちらがフリーランスだったからだろう。皆が30代、40代の働き盛りで、陽気に酒を飲んだ。誰かの悪口を言うでもなく、忙しさを愚痴るわけでもなく、新しいお客様が来ても受け入れる、先輩たちの酒の飲み方が憧れだった。他の店を開拓しようといろいろ歩き回ったが、飲み屋であそこを超える店は未だにない。こちらが30代半ばに大岡山から引っ越してからも縁は途切れず、週刊誌の激務をこなしていた時期も意地になったタクシーで通った。

 今から10年ほど前に元住吉に自宅兼店舗をオープンするのだが、こちらの酒量が落ちたこともあって、少しずつ訪ねる間隔が開くようになった。たまに顔を出しても店は閑なことが多く、師匠と二人きりで酒を飲むこともしばしば。静かに確実に、最後の時が近づいていたのだろう。そして、2年前にとうとう倒れてしまった。

 今でもベリーショートの髪形と低い声で話す姿が目に浮かぶ。自由が丘の店で過ごした30代の濃密な時間が懐かしい。あの店との出会いがなければ、虎の子もなかった。自分たちの人生もずいぶん変わったものになっていただろうと思う。紛れもなく、大恩人である。ありがとうございます、おかあさん。本当にお世話になりました。虎の子はもう少し頑張ります。合掌。

  
4月22日(土) 北海道がやっぱり好きだ

 札幌は小雨でした、6℃。

 昨日、新規の仕事の打合せで札幌へ。話があったのは去年だが、とにかく忙しい社長で、なかなか時間が取れず、とうとう本社がある北海道まで来るように、という話になってしまった。もちろん、願ったり叶ったりである。
  
 事前にチェックした天気予報では雨だったにもかかわらず、札幌に着いた午後は晴れ間が広がっていた。こちらは用意周到にコートを着てきたのだが、そういう軟弱者は本州暮らしとすぐ分かる。現地の人々は雪が消えたらコートを脱ぐのが当たり前で、男性も女性も着ているものは東京と変わらない。10℃を下回っても、意地でもコートは着ないのである。あー、寒いこと。打合せは開始が40〜50分も延びてしまったが、それでも2時間半ほど濃い話が聞けた。会社がススキノの近くだったので、その後は推して知るべし。社長のゴチになる。 

 今日はあいにくの雨だったが、郊外にある現場を社長の運転でひと回り(といっても2時間だけど)。詳しく書けないが、すっごい大きな建築物を見上げて帰ってきた。石狩の浜はアンジュレーションが優雅で、映画を見ているかのよう。これで晴れていたら、どんなにきれいだろう。北海道はいい。やっぱりいい。昼前に札幌駅に到着。司法書士をしている甥を呼びだし、居酒屋で昼酒をおごってもらう。開業して3年になるが、社業は順調。それでもまだまだ余裕があるので、新規客を狙って折り込みチラシをやってみたら、2万枚で問合せゼロだったという。そんなに巧くはいかなくて当たり前である。まあ、もうちょっと苦労した方がいい。2時間で切り上げて新千歳空港へ。移動の電車で30分ほど寝たせいか、頭がすっきり。早めに入った出発ロビーで読書を楽しむ。あー、しあわせ。8時前に帰宅する。
  
 これから北海道、東北を股にかけた大仕事が始まる。がんばらなくちゃ。

 
4月27日(木) 見積書作りが悩ましい

 曇って、19℃。

 午後2時、表参道。新規案件のデザインを頼むデザイナーの事務所を訪ねる。その前に根津美術館で尾形光琳の燕子花図屏風が見られる展覧会に寄り道。二双の燕子花図は豪華絢爛で圧巻の美しさではあったが、光琳作は3点ほどしかない。一緒にやっていた鈴木其一の夏秋渓流図、水の流れを群青と金泥で描くアイデアは秀逸だが、こちらも数が少ない。うーん。去年12月の円山応挙展に比べると、ちょっと残念である。
 
 デザイナーとは意見交換しながら2時間半ほど打合せ。お互いにやりたいことを伝えたが、今回は自分が仕切る仕事なので、大嫌いな制作料の見積もやらなくてはいけない。デザイン料は分かるのだが、問題はカメラマンのギャラである。拘束日数が長いから、金額がそれなりに高くなる。が、それではこちらのギャラまで喰われてしまう。企画をとるか、お金をとるか。ああー、悩ましい。
  
 根津神社前から表参道、明治神宮を抜けて帰宅。空気も木々の緑もきれいだったが、今ひとつ心が晴れない。どうしようかな。

  
4月28日(金) 空の眩しさが目に染みる

 快晴、22℃。

 午後1時すぎ、秋葉原へ。2時から代理店にてプレゼン。とあるフェアのパンフレットを依頼されたのだが、短期間によくまあここまで仕上げてくれました、と感謝される。社内コンペで勝ち抜けたわけではないが、今回は手応えがある。反応に気持ちよくして外に出ると、目に染みるほどの青空。なんだか電車に乗るのがもったいなく、プロダクションの人たちと駅で別れて淡路町まで歩く。そこから地下鉄で新宿三丁目まで行き、伊勢丹で小さな買物をして帰宅。

 夕方、甥と代々木上原で待ち合わせをし、ビールを飲む。改めて歳を聞くと36歳。2児の父親になり、太って亡くなった兄貴そっくりの顔になった。甥と飲んでいるのか、兄貴と飲んでいるのか、頭が混乱する。いろいろなことで心配させられたが、何はともあれ、東京に誰の力も頼まず自分の居場所を見つけたのは素晴らしい。立派である。自分の両親がいたら、さぞ喜ぶことだろう。甥のおかげで、親孝行ができた。

 9時過ぎに虎の子へ。ツマと甥もずいぶん久しぶりの再会だったが、店が大忙しで落ち着いて話ができない。まあ、仕方がない。11時過ぎに連れ立って店を後にする。大型連休前に、楽しい酒が飲めた。