11月2日(月) 鶏そばで温まる

 2週間ぶりに雨降って14℃。寒すぎ。

 昼前、南武線沿線のクライアントで取材。中途半端に早く駅に着いたため、昼飯を済ましてから行くことにする。かれこれ10年通っている街だが、食事をしたことがなく、店の見当がつかない。で、ぶらぶらと歩いていると「鶏そば」の文字に目が止まる。よし、これにするか。体が冷えていたので、迷うことなく店に入る。お昼どきだというのに、先客は一人。まあ、人通りが少ない街だからこんなところか。10分もせず、大山地鶏でスープをとったそばが運ばれてきた。飛び上がるほどの美味さではないが、コクがあって、胃に優しい。世の中、豚骨背脂チャッチャッ系濃厚スープのラーメン屋がふんぞり返っているが、美味いと思うのはせいぜい40代まで。50歳を過ぎたら、こういうのでなければ箸が進まない。あー、美味かった。温まった。

 社長取材、ちょうど1時間で終了。業績はほぼ横ばいだが、円安のフォローの風がなかったら、さあどうなっていたのか。アベノミクスの笛吹けど、景気は踊らずである。そのまま目黒へ移動。こちらでも打ち合わせ1時間。某建築設備メーカーの仕事、小さいけれど夏以降5つ目である。面倒くさいし、ギャラも寂しいが、何はともあれご指名いただけるなら、こんなありがたいことはない。代々木で買い物をして帰宅。打ち合わせをしたばかりの仕事の原稿書きに取り掛かる。

 明日は祝日だったが、仕事が終わらず、けっきょく原稿書きを1時過ぎまで。忙しいけれど、いろんなことが全然前に進まない。いやんなります。


11月7日(土) やっぱり外出ならず

 曇ったり、小雨が降ったり。20℃。

 午後イチ、マンション管理組合理事会。前回は小うるさい理事がいて、本人の勘違いにもかかわらず、毒づかれた。それでどうなるかと思って臨んだが、当の本人はバツが悪いのか出席せず、常識ある皆さんのおかげですいすい議論が進む。ざまーみろだ。いったん帰宅して代々木から目黒まで。デザイン事務所で今週2度目、またまた別件の打合せ1時間半。今回のテーマはえらく難しく、調べものをしないといけないが、まあ、やるしかない。それが終わって、ディレクター氏と雑談いろいろ。お母さんが認知症が進み、近所でちょっとしたトラブルを起こされたとか。で、同居している妹さんが罵詈雑言されながらも病院に連れていき、CTスキャンを撮るとそうとうレベルが進んでいたとのこと。則入院できたことは幸いだったが、肉親との最後の記憶がそういう形になるというのは寂しいだろうなと思う。

 代々木の蕎麦屋で小腹を満たして帰宅。10時過ぎには仕事を終えて外出をと目論んでいたが、結局、原稿書き2時まで。体がしんどいが、6時間ほど根を詰めて働いていたため頭は冴え渡り、1時間ほどウイスキーを飲んでなんとか眠る。2本この週末に上げないといけない仕事があるが、手を付けられず。明日も早起きしなくては、いかんなぁ。


11月13日(金) 夜遅く行けるオッサンの店はないものか

 晴れて18℃。温かくて助かります。

 日中は、企画書整理、PR誌用エッセイ、パンフレット原稿書きなど。夕方5時にとあるプレゼンをしているディレクター氏から何らかの返事があるはずと待機していたが、なかなか連絡なし。9時を廻り、今日は何もないのかと思っていた矢先、やっと電話がかかる。反応はまずまず、こちらが自主的に提案した内容についても一定の評価をいただき、安堵する。年末の納品なので幾分忙しくなるが、まあ、しょうがない。

 小さな用事をこなすうちに11時を廻り、ツマから仙台の友人が来ているとのメールが入ったが、電車に乗って出かけるには遅すぎる。酒を買いに駅前のコンビニに出けると、若者向きの店はどこも7割、8割の込みよう。オッサンが1人で飲めるような店って、なぜなくなってしまったんだろうな。金曜日の夜だっていうのになぁ。


11月17日(火) 二の酉なのに汗をかく

 曇って15℃。

 11時、新宿にて新規案件の打合せ。月間のPR誌の見積り依頼を受ける。デザイン会社としては、それを取っ掛かりにしてクライアントに食い込みたいところ。そのため、こちらとしてもギリギリの金額を提示する。見本誌を見せてもらったら、通巻700号を超えていた。それだけでも驚きだったが、前任者はそれを15年もやっていると聞いて、さらに驚く。あるんだなぁ。

 仕事を発注(見積りが通ればの話だけど)してくれたのは、6年前までクライアントだったディレクター。40歳を過ぎての転職でずいぶん苦労をされたが、今回はご自分が若かりしときに手掛けた仕事が評価されて誘われたもので、以前会ったときより落ち着いた感じ。ちょっと安心する。打合せは1時間で終了。湿度が高く、気温はそれほどでもないのに蒸し暑い感じ。4時すぎには雨になった。

 夕方から講演会テープのリライト。子供の芸術活動を支援されている方のお話だったが、早口なのと、マイクに近づきすぎなのと、写真をプロジェクターで投影しながらの話しだったため、いつもより手間取り、夜中までかかってしまった。今日は二の酉。屋台で飲む安酒は冷たい風に吹かれてこそ旨いもの。ツマはアルバイトのYちゃんと行っているはずだが、盛り上がったかどうか。


11月20日(金) 下北沢でおとなしく酒を飲む

 曇って15℃。

 仕事、一服。次の案件の準備も順調に進んでおり、珍しく休み明けの原稿提出の予定もない。酒を飲むのに、これほどふさわしい日はない。夕方、病院に出かけ、そのまま新宿の紀伊国屋書店へ向い、仕事がらみの気になる本を見て回る。清潔不潔という概念の起源を知りたくて、手掛かりになりそうなものが欲しかったのだが、アナログな探し方は時間がかかる割に多くをチェックできない。1時間かけたが、手応えなし。改めてAmazonで下調べして来ることにし、何も買わずじまいだった。

 小田急で下北沢。先月北口一番街にオープンした「Roji」に顔を出す。2月まで松陰神社前で居酒屋をやっていたJさん・Hちゃん夫妻が開いた店だが、金曜日だけあって店内は大賑わいだった。オープン当日にもお会いしたMちゃんご一行がいて、ご挨拶する。蛸刺し、つくね(旨い!)、ゼンマイのおろし和えで、ビール、日本酒、ハイボール。いろんなお客さんの世間話を聞くともなしに聞きながら、ぼんやり飲む酒は悪くない。のんびり2時間過ごす。スズナリ横丁の長く不義理をしているスナックにも、少しだけ顔を出す。ここでも若者の話をぼんやり聞きつつ、ウイスキーなど。調子に乗って意識をなくさないうちに、電車に乗って帰宅する。


11月21日(土) 馬喰町と人形町をぶらつく

 晴れて20℃。ちょっと暑い。

 3時過ぎ、仕事の調べ物で浜町へ。小伝馬町にクライアントがあったときは人形町まで何度か来たが、ここははじめて。馬喰町、横山町、東神田あたりは繊維問屋街というイメージだったが、最近は昭和の無骨なビルがところどころレストランやギャラリー、カフェになっているらしく、パリの職人街と佇まいが似ている。また、それを目指してくる若い女性や夫婦が意外なほど多く、逆に年寄りの姿は1人も見かけなかった。これで並木道があれば、言うことがないんだけどな。気になる店がいくつもあったが、日暮れが迫っており、ゆっくりはしていられない。人形町まで足を伸ばし、甘酒横丁をぶらついて頭に記憶を焼き付けておく。こちらは観光客が多いが、上品な人が多く、賑わっているのに清潔な印象。玉英堂彦久郎という和菓子屋の張り紙に「虎家喜」とあったので、お土産にする。気分が良かったので銀座に足を伸ばし、一杯やって帰ろうかとも思ったが、時計を見ればまだ6時。馬喰町まで戻って帰宅する。以後、夜中まで原稿書き。

 たった数時間だったが、愉しい週末になった。今度は酒を飲みにいかなくちゃ。


11月26日(木) 褒め方を考える

 にわか雨、11℃。

 朝イチ、新規不動産広告案件の依頼メール。珍しくプレゼンまで時間があるが、仕事のピークは1月から2月。そのころは別件が結構重なっており、受けていいものか悩んでしまう。どう返事をしていいのやら。

 午後イチ、赤羽橋のクライアントにて打ち合わせ。お会いしたのは初めてだが、滑舌がよい低いトーンの方で小さな声で話しをされているのに、聞き取りやすい。男として非常に憧れる声の持ち主だった。込み入った商品の説明を受けたのだが、頭の中にすっと入り込んでくる。すばらしい。1時間半の打ち合わせの後で、ディレクター氏と喫茶店に移り、1時間あれやこれや。年末の仕事の進め方を詰めておく。

 時間があったので、朝の案件の返事をする前に物件が建つ予定の町を自分の目で見てみることにする。京浜東北線某駅から徒歩3分。立地はいいが、駅力弱し、周辺に緑なし。どう褒めればいいのか、悩ましい。駅の反対側に回ってみると大きな公園があった。ここしかないのかなぁと考えていたら、メールを送ってきたディレクター氏から電話。おそるおそるこちらのスケジュールを確認してくる。正直なところを話し、実は某町を歩いていますと伝えると相手がびっくりしていた。ここまではやりますが、ここから先はご勘弁をと伝えて許してもらう。やるしかないな。

 電車を乗り継ぎ、帰宅。リライトした取材テープをベースに原稿書きをスタートする。年末年始、おかげさまで忙しくなりそうだが、ちょっと重なりすぎなのがなぁ。うれしさ半分の悲鳴だけど。


11月30日(月) 突然の訃報にうろたえる

 曇って14℃。

 昼、兄より電話。札幌で家族で暮らしていた母方の叔母が亡くなったとの話に驚く。実はこの3月には叔父が亡くなり、葬式に出られなかったので5月に兄夫婦と線香を上げにいったばかり。そのときは特段やつれていなかったのに。あの日、手料理でもてなしてくれたのが、最後になるとは。母方は産めよ増やせよの時代で兄弟姉妹が多かったが、とうとう残るは1人。伯母さん、寂しいだろうなぁ。今回も帰ることができず、兄に不義理することを伝える。電報、ちょっと高めの用紙を選んで送ることにする。

 仕事、多々。依頼が多いのはありがたい限りだが、受け方を考えないといけないなと正月明けが大変になってしまう。まあ、贅沢な話だけどさ。